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正しい言葉の修得のためには、豊富な実体験と言葉の習熟と十分な会話の回数が必要である  Part 1

 これも知られているようで、あまり知られていないような内容になるのですが、どんな人であっても、正しい言葉の修得のためには、そうした言葉を理解するための自分自身の実体験と、それから、そうした言葉を聞いたり読んだり、また話したり書いたりした回数と、さらには、十分な会話の回数が必要なところがあるのです。

 ですから、そうした言語の修得の基礎である三要素が十分にできていない人は、残念ながら、たとえ何十年、その国の言葉を使っていたとしても、他の人の言葉を聞いても、本当は、せいぜい2〜3割ぐらいしか理解できていないのかもしれないし、また自分自身の考えを伝えようとしても、やはり本当は、せいぜい2〜3割ぐらいしか伝えることができていないかもしれない、というような言葉のギャップのようなものが生じてしまうことがあるということなのです。

 それでは、そうした言語力をつけるには、いったいどうすればいいのか、というと、だいたい以下のような四つのことが言えます。

 まず第一には、これは当然のことですが、小さい頃から親や兄弟姉妹といった家族と話したり、友人と遊んだり、自然に親しんだりして、自然自然のうちに「こういう物や生き物のことを○○と言うのか」とか、「こういう時に、こういう風に言うのか」などということを、自分自身の実体験の中で、しっかり学んでゆく必要があるということです。

 第二には、これは現代だと、まだあまり大々的には行われていないのですが、特に現代のように一昔前の時代と違って、学問や職業上の専門用語も含めて、最低でも数千の単語や熟語の使い方が理解できないと、普通の文明国の仕事や生活ができないような時代には、子供時代から、これはある程度、言葉が分かるようになった頃からで構わないのですが、親や家族や幼稚園の保母さんなどに短い楽しい絵本や図鑑のようなものを、できるだけ、たくさん気軽に楽しく、声に出して読んでもらうような経験があると、そうした子供は言語能力が、かなり高くなることが多いようなので、その後の学校生活でも授業の理解力や記憶力などの点で、かなり有利になるようなところがあるようです(つまり、学校のほとんどの授業は、その国の標準語で行われるので、当然のことですが、言語能力の高い人は、あらゆる意味で有利になるようなところがあったということです)。

 残念ながら、「自分は小さい頃から、そんな英才教育なんて受けなかった」というような人の場合でも、多分、毎日20〜30分程度だけでも時間をとって、いろいろな本や雑誌を読んだり、自分の興味のある本や雑誌を、適当にパラパラと読み流すような感じで(あまり真面目に全部、隅から隅まで読もうとしなくても構わないのですが・・・)、目を通すような習慣を持つようにすれば、おそらく1週間ぐらい経った後の段階からでも、それなりに自分が多少、頭が良くなったというか、多少、自分の頭の回転が早くなったような良い効果が得られるように思われます(つまり、言語の能力の向上には、どうしても、ある程度の量の読み聞かせや読書が必要だということです)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年10月9日 9:11 PM, おすすめ記事 / 教育 / 知恵、正しさ



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