③多くの人々が、何らかの宗教的な信念に基づいて、ある特定の悪魔や悪霊の存在や、怖い神罰や祟りの存在を、非常に強く信じ込むようになると、多くの人々の集合想念の力によって、それが現実化して、実際に、そうした信念を持っている人々の間では、その教えの通りの悪魔や悪霊や、神罰や祟りで苦しむ人々が、数多く出てくるようになることがあるので、注意が必要である
第三には、これは、非常に言いづらいのですが、実は、このような形で、地上の世界において、あまりにも強い信念でもって、何らかの宗教書を信じるようなことをしていると、その結果、霊的には、その当人としては、全く思いもしないような大災難に巻き込まれることがあるので、これには、非常に注意が必要である、ということです。
それでは、その霊的な災難とは、いったい、何なのか、というと、これは、例をあげると、本当に、きりがないのですが、例えば、多くの人々が、「こんな、とんでもない、ものすごい力を持った悪魔がいる」、などと強く信じ込むようになると、そうした人々の間では、本当に、その教えの通りの悪魔に翻弄されるような、とんでもない霊体験をするような人々が、たくさん出てくるようになったり、あるいは、多くの人々が、「こんな悪いことをすると、こんな大変な罰や祟りに遭うらしい」、などと強く信じ込むようになると、そうした人々の間では、本当に、その教えの話と酷似した、恐ろしい罰や祟りに巻き込まれるような人々が、たくさん出てくるようになることがある、ということなのです。
つまり、そうした信仰と一緒に、ついでに、恐ろしい悪魔や悪霊の存在や、おどろおどろしいお化けや妖怪の存在や、怖い罰や祟りの話を、あまりにも強く信じ込みすぎてしまうと、そうしたことを信じている人々の間では、本当に、その教えの通りの恐ろしい存在が、目の前に出てきたり、あるいは、その教えの通りの、とんでもない神罰や祟りに遭う人々が出てきてしまう可能性がある、ということなのですが、それもこれも、元をたどると、何のことはない、せいぜい、単なる知識として、受け入れておけば、よい程度の話を、「何でも信仰」、「何でも真理」、とばかりに、あまりにも強く、信じ込むような態度をとりすぎたことが、そのそもそもの原因だったのではないか、ということなのです。
ですから、よく考えてみれば、これは不思議な話であるのですが、少し前の時代まで、あれほどキリスト教徒の人々が、ものすごく怖れていたサタンやデーモンの存在も、仏教とやイスラム教徒の人々には、何のことだか、さっぱり分からない、というようなことがあったり、あるいは、仏教徒の人々が、非常に怖れたり、敬ったりしている悪魔や精霊のような存在に対して、キリスト教徒の人々は、全く何の怖れも畏怖(いふ)心も感じなかったりする、などというようなことからも、よく分かるように、よく考えてみると、なぜか、それぞれの宗教ごとに、神仏の名前や偉さが違うように、悪魔や悪霊の名前や怖さも、結構、異なっていたりするようなところがあるのですが、それもこれも、元をたどると、本当に、そうした悪魔や悪霊がいた、というよりかは、その宗教や、その地域の人々は、いったい、どのような神仏や悪魔を信じて、受け入れていたのか、ということに、そのそもそもの原因があるようなところがあったのではないか、ということなのです。
単純に、宗教書の内容を、一から十まで、すべて信じ込むような態度を持っていると、生前のうちは、それでも、そこそこ幸せな人生を生きられるかもしれないのだが、死後の世界では、その宗教独自の、とんでもない四次元の幻影の世界に巻き込まれたまま、何十年経っても、何百年経っても、出て来れなくなるような、大変な事態に巻き込まれることがあるので、注意が必要である
このように、多くの人々の単純な思い込みとは、かなり違って、「聖書のような宗教書の内容を、一から十まで、何でもかんでも、すべて正しいものとして、受け入れ、信じていればいいんだ」、というような精神態度を持っていると、確かに、いつも、いろいろな出来事が起こって、全く心の落ち着かないような、この地上の世界では、常に一つの心の拠り所を持つことができるので、とても便利なところがあるのですが、ただ、ひとたび、肉体の人生を終えて、死後の世界に足を踏み入れると、そうした信仰的な信念が災いして、霊界にいる自分の周りに、その宗教独自の疑似天国や疑似地獄を作って、その中に閉じこもったまま、いつまで経っても、出て来れなくなるような大変な事態に陥ったり、あるいは、地上の世界で生きている間から、本当は、多くの人々の集合想念のパワーによって、作り出された、単なる幻影に過ぎない、四次元の歴史世界や、そうした世界独自の神仏や悪魔キャラクター存在達の強い影響下に置かれたまま、まるで一種の幻影の中を彷徨(さまよ)うような人生を送らなくてはならなくなることもあるので、非常に注意が必要である、ということが言えるでしょう。
Cecye(セスィエ)
2012年1月14日 9:04 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観