それでは、こうした学校教育の現状において、いったいどのような自衛策を講じる必要があるのかというと、私が特に重要であると感じるのは、次の四つの内容になります。
1、未来の自分の成功に必要な学習はしっかりと行い、またそれなりの成績もしっかりあげるけれども、単なる真面目イズムではなく、できるだけ何でも楽しく幸福に、また単なる受け身の傍観者ではなく、できるだけ自分が主体的に積極的にいろいろな物事に取り組んでゆくような精神性や行動習慣を持つようにする
まず第一には、学校であると、とにかく学校が決めた決まりや指導方針や命令のようなものに従って真面目にやることが優等生の第一条件になってくるようなところがあるのですが、私の知る限り、こういう精神性や行動習慣を身につけた人で、社会に出てものすごく大成功したというような話は、実際にはあまり聞いたことがないのです。
ただ一つ例外的な職種として、いわゆる役所勤めや学校の教員になった場合のみは、今述べたような精神性や行動習慣を持っていても、まあ国家が破綻でもしない限りは、そのままそこそこ首にならない程度に同じような仕事をし続けることはできるかもしれないとは私も思うのですが、ただ、これははっきり言って大変申し訳ないのですが、私が見る限り、そうした役所勤めや教育生活をしていて、本当に心から嬉しそうに働いている人をほとんど見たことがないので(全員が全員、そうというわけではないのですが・・・)、この世的な収入面や仕事の安定性という面から見るのであれば、そういった仕事も良いのかもしれないのですが、その人自身の本当の適性や幸福という観点から考えてみると、こうした職業が本当に多くの人々に心からの満足や幸せを与える仕事であるかどうかということは、基本的に全く別問題であるということは、あらかじめよくよく知っておく必要があるということが言えます。
※最近は少し変わってきているようですが、少し前の日本では、公務員や教職員の仕事に就いている人には、全般にそういう傾向が見られたように思われます(2015年10追記)。
再び話を戻しますが、要するに社会に出てからあまり困らないように、あるいは、自分が最も充実感や幸せを感じるような仕事を選ぶためには、とにもかくにも現在の日本の学校が強要するような受動的な受け身の姿勢ではなく、自分に与えられた仕事をできるだけ心から楽しんで最大成果をあげられるように、常に創意工夫して改善や改良し続けるような精神性や行動習慣を持つことがとても大切であるということです。
それと、ここで大切なのは、もう今の日本は昔のような貧乏国ではなく、世界最先端の先進国になってしまっているので、「とにかく食うためには、言われた通りに真面目に働かなくてはならない」というような価値観自体が、すでに完全に時代遅れになってきていて、そうではなく現代の日本だと、「別にそれほどお金になるとは考えなかったけれども、自分が好きな仕事をやっていたら、いつの間にか、それが時代の最先端になってしまった」、とか、「他の人が嫌がるようなことをとにかく楽しんでやっていたら、いつの間にかその世界の第一人者になってしまった」、とか、「自分としては、単に楽しいことを追求しているだけだったんだけど、気がついたら、それが時代の花形の仕事になってしまった」、などというように、はっきり言って、何でも言われた通りに無表情で黙々と作業し続けるというような「真面目イズム」というのは、現代だとすっかり時代遅れになっていて、そうではなく他人から言われたことであっても、あるいは自分が考えたことであっても、できるだけ楽しく、常に積極的に創造的に時間を忘れて取り組むぐらいの、がむしゃらな集中力や行動力がないと、どんな仕事に就いても人並み外れたパッとした成績なんて、なかなかあげられるものではないということなのです。
それゆえ、私は学生時代を終えた後も、社会人として、そこそこ立派な仕事人生を歩んでゆくためには、そうした未来の自分に必要な学習はしっかり成績は出すし,またそれなりの学歴もしっかり作るけれども、ただ結局、学校は、自分の人生には最後まで責任を持ってくれない、ということだけはしっかりとわきまえて、その上で、いつの間にか自分が非常に受け身の傍観者のような精神性や行動習慣を身につけてしまったように思えた時には、単なる真面目イズムだけではなく、常に楽しく幸福に、また受け身の傍観者ではなく、自分が主体的に積極的にいろいろな物事に取り組んでゆく精神性や行動習慣を持つことを勧めたいと思います。
Cecye(セスィエ)
2011年12月4日 6:01 PM, 教育