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Q&A 亡くなった人々とコミュニケーションするには、いったい、どうすればよいのか? Part 6

4、アセンションの進んだ現在の状況では、一昔前の「降霊会」のような形式ではなく、自分の心を平安なリラックスした状態にすることで、もっと気軽に霊とのコミュニケーションをはかることは、実際、可能なのだが、だからと言って、何でも霊の言いなりになるような、霊中心の生活は、絶対に控えなくてはならない

 第四には、その上で、ここからが霊的な存在との具体的な交流の方法になってくるのですが、一番最初に、この文章の冒頭で述べたような形の、いわゆる、「降霊会」のような場で、さまざまな霊が、次々と霊媒に乗り移ってくるようなタイプの霊的な交流は、基本的に普通の人は、全くやる必要はない、ということです。

 つまり、こうした霊がかかるようなタイプの霊との交流というのは、たいてい、自分自身の意識をほぼ完全に失った状態で、自分に乗り移ってきた何らかの霊の言葉をそのまましゃべるようなタイプの霊との交流になってくるのですが、確かに一昔前の時代のように、霊界と地上の世界との間の境界が非常に分厚かった頃の霊的な交流においては、こうした霊との交流方法も悪くなかったのかもしれないのですが、ただ、アセンションの進んだ現在のような状況の場合には、自分自身の意識を、何らかの霊的存在に完全に明け渡してしまうようなタイプの霊との交流というのは、よほどの霊的な能力のある人か、もしくは、かなりしっかりとした周りのサポートがある場合以外には、基本的に個人で行うには、あまりに危険すぎる、ということなのです。

 ですから、私は、基本的にそうしたよく降霊会で行われるような霊媒に、次々と何らかの霊が乗り移ってくるようなタイプの霊的な交流というのは、原則あまり勧めない、というような立場に立ちたいと思うのですが、それでは、このブログで述べているような、わりと比較的簡単な努力で、誰でも出来るような霊的交流の方法や、その注意点というのは、いったい、どのようなものになるのか、というと、大まかに要点を述べると、だいたい、以下のような二つの内容になります。

 

1、霊との交流では、自分が、とても平安で落ち着いた状況での霊との交流なら、いくら続けても、それほど問題ないけれども、恐怖や怒りや不平不満や自信のなさなどで、自分自身の精神状態が荒れている状況での霊との交流は、たいへん危険なので、基本的に絶対に止めた方がよい

 一つめは、先ほど述べたような形で、ある程度、自分の精神状態を非常に平安な落ち着いた状態に保ったまま、自分のコンタクトしたい霊に自分の意識を向けて、心の中で話しかければいい、ということになるのですが、この場合、注意すべきことは、自分の心の波動が、ある程度、平安で澄み切った状態で交流できるような霊とのコミュニケーションは、いくら続けても全然、問題ないけれども、そうではなく、自分の精神状態が荒れていて、すぐに恐怖や怒りを感じたり、あるいは、何らかの不平不満や自信のなさを感じているような時の霊との交流は、基本的に絶対に控えた方が賢明なのではないか、ということです。

 

2、自分の心を平安なリラックスした状態に保ったまま、心の中で会話してゆけば、霊との交流は、比較的簡単に成り立つのだが、だからと言って、そう簡単に現実世界での自分の学業や仕事や家庭での生活のあり方を軽視して、霊の言いなりになるような態度は、厳に慎まなくてはならない

 二つめは、これは、少し難しいのですが、今述べたような形で、自分の心を平安なリラックスした状態に保ったまま、自分のコンタクトしたい霊に対して、心の中で何らかの質問をして、そのまま体の力を抜いたまま、例えば、手にペンなどを持って、その時、出てくる言葉をそのまま、あまり神の言葉などと力んだりせずに自由に書き留めてゆくようにすることです。

 これは、少し慣れがいるのですが、ある程度、慣れると、そのような形で、自分の意識を平安でリラックスした状態にしておきながら、その時、出てきた言葉をそのままノートなどに書き留めてゆくと、基本的には、わりと簡単な形で、言ってみれば、一種のチャネリングのようなことが成立したことになる、ということです。

 ただ、ここで難しいのは、特に自分に自信のない人や、あるいは、何かにすがりたくて、すがりたくて、仕方のないような人の場合、こうした、ちょっとしたチャネリングの走りのようなことをすると、もう途端にそうした、いったい、どこから来ている何なのか、ということすら、よくわからないような霊の言葉を信じて、訳の分からない行動に走ってゆく危険性がある、ということなのですが、私の基本的な見解は、たとえ何らかの霊との交流のようなことが出来たとしても、常に次のような三つの基本は、絶対に崩さないようにした方が、賢明なのではないか、ということです。

1、よほどのことがない限り、自分の日頃の学業や仕事や家事といった日常の生活は、絶対に崩さないようにすること。

2、たとえ、何らかの霊との交流が出来たとしても、常に現実の生活と霊の言葉を比べた場合には、いかなる理由があっても、現実の生活の方を絶対に優先して、霊の言葉第一の生活なんて、絶対に夢見たり、考えたりしないこと。

3、霊の言葉と現実の世界での誰かの知識や体験とを比べた場合には、たとえ、どんなに優れた霊の言葉があったとしても、常に自分自身や身の回りの人々の知識や体験や、あるいは、本やインターネット等も含めた現実世界での具体的な事実に基づく体験や、それをまとめた知識や情報の方を優先させること。

 などとあげることができるのですが、このように、とにもかくにも、ある程度、霊との交流のようなことが出来るようになると、現実の世界というのは、なかなか厳しいところもあるものですから、現実の学業や仕事や家庭での生活が、うまくいっていなかったり、自分の夢や希望が、なかなか実現できなかったりすると、どうしても、そうした霊との交流のような、言ってみれば、ちょっとした人生の逃げ道、というか、隠れ場所の中にどんどん入り込んでゆこうとするような人達が、実際、後を絶たないようなところがあるのです。

 ですから、ここでは、一応、簡単な霊との交流の方法自体は、お教えするのですが、これは、決して、「現実の学業や仕事や生活を怠けろ」、とか、「他の人々との普通の付き合いを止めて、霊との交流の中だけに自分の居場所を見つけろ」、というような意味ではないので、これについては、くれぐれも誤解しないようにしていただきたい、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年9月13日 9:16 PM, Q&A  / スピリチュアリズム、霊界 / 瞑想



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