③青春期に恋愛している人々は、かなり強い幸福感を感じているものであるが、よく考えてみると、そうした恋愛をしている人々の心境というのは、それほど強く人間的な上下の感覚を感じていないことの方が遥かに多い
第三には、これはたいていの人は、もう忘れて久しい記憶になっているのではないかと思われるのですが、結婚後の夫婦生活のことはいったん置いておいて、まだ異性のことをよく知らない子供の頃や青少年の頃に恋心を抱いた相手との人間関係を考えてみると少し分かりやすいのではないかと思われるのですが、基本的にこうした恋をしている人というのは、あまり自分と相手との間に上下の差というものを感じていないことが多いということなのです。
もちろん、そうした恋愛というのは、うまく行くこともあれば、そうでないことも多いので、全部が全部すべていい思い出だったとは、とてもではないが言えないような人の方が多いのではないかと思われるのですが、ただ恋愛している時に、なぜあれほど多くの人々は、とても幸福感を感じていることが多いのかというと、それは現実社会のくびきから離れて、たとえ自分の想像の世界の中だけであったとしても、自分と相手との間に一切の上下関係を離れたものすごい親近感であるとか、深い愛情を感じることができたからなのではないかということなのです。
ですから三つめの例として、私は、人間というのは、恋愛の時には、結構非常に強い幸福感を感じているものであるが、よく考えてみると、そうした時には、あまり人間の上下の感覚というものを強く感じていないことの方が遥かに多いということをあげてみたいと思います。
※結婚したばかりの男女というのは、それなりに結構幸せそうに見えるのですが、長い目で見ると、それ以降は、わりと地味な生活を送っているような印象を受けるので、ここでは男女関係については、特に恋愛の時期の幸福そうな様子についてあげています。
④生前は全く仲良くできなかったような人であっても、いざその人が亡くなってしまうと、途端に周りの人々の態度がガラリと変わって、その人に対する深い親近感や愛情を感じて、わりと本音ベースの幸福な人間関係に戻れることが多い
第四には、これは今度は今の話の反対で、少し皮肉な話になってくるのですが、多くの人々は、生きている間には、それぞれいろいろな利害関係や複雑な人間関係が絡み合っているようなところがあるので、そう簡単には、誰とでも親しく仲良くできないようなところがあるのですが、ところが、何らかの拍子にそうしたある人物が亡くなってしまったということにでもなると、突然、多くの人々が慌てふためいて集まってきては、「いや、よく考えてみると、あの人は、いい人だった」とか、「こんなに早く亡くなるなら、もっとこまめに会っていれば良かった」とか、「生きている間は全然気にならなかったけど、あの人がいないと、結構寂しいものね」などというような会話が、たくさん聞かれるようになることが非常に多いということなのです。
それでは、生きている人と違って、亡くなった人のいったいどこが、そんなによく感じさせるようなところがあるのかというと、これは本音ベースの内容で誠に申し訳ないのですが、生きている人と違って、すでに亡くなってしまった人というのは、もちろん亡くなった直後には、いろいろごちゃごちゃと、もめ事があることも多いのですが、基本的には人間としての利害関係が全くなくなってしまうということと、それから人間関係にまつわる複雑なややこしい部分がすべて自動的に完全清算されてしまうようなところがあるので、その結果、もう単純に故人を思う時には、自分が思うことを一方的に写真や仏壇に向かって話しかければいいとか、生前は当たり前だった文句や不平不満の言い合いや喧嘩や仲違いというものが基本的に一切なくなってしまうので、言ってみれば、その時点になって、ようやくどの人も、そうした亡くなった人と、本当に平等でフラットな、気軽な嘘のない人間関係を築けるようになるということなのです。
それならば、そんな死ぬまで待たなくても、もう生前のうちから、できるだけ年齢や立場に関わりなく、平等でフラットな気軽な人間関係を築けていれば、もっと幸福な人生を送れたのではないかと思われるのですが、実際その通りで、私が見る限り、いろいろな国々の様子を見ていると、長幼の秩序とか、年功序列みたいなガチガチの価値観を持っている国よりも、「神様の下では、年上の人も年下の人も、みんな平等」とか、「若い人も年とった人も、できるだけ平等に同じように扱ってゆこう」というような文化の国々の方が、全体としては、ずっと幸福そうに見えるということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年8月8日 9:33 PM, 人生観、世界観