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よく日本人全体に昔の戦争の戦争責任があるみたいな説明が行われることが多いが、実際には当時の大多数の日本人には、ほとんど何の戦争責任もなかったのではないだろうか Part 2

 さらにもっとはっきり言うと、戦後数十年経っても、いまだにごちゃごちゃした何だか訳が分からなくなるようなマスコミのキャンペーンを張ったり、あるいは義務教育において、それ以前の長い長い日本の歴史を教えて、現代人にとって一番重要なはずの近現代の世界の歴史や、第二次世界大戦に至った当時の日本政府の政治的な失敗をうまくごまかそうとしているようなのですが、とにもかくにも重要なのは、戦前戦中の「大日本帝国」であった日本において唯一戦争を始めたり、戦争を止めたりできるような絶対的な権限を持っていたのは、当時の昭和天皇(裕仁(ひろひと))以外にいなかったはずなので(普通、どこの軍隊でも上官、特に一番上のトップに従わなかった場合には即クビにされるか、重罪にされます)、それゆえ本当は戦争責任というのは、当時の昭和天皇ただ一人にあったか、もしくは、当時の昭和天皇を取り囲んでいた皇族を含む取り巻き全員にあったというのが実態だったのではないかということです(小さなクーデターが何回かあったというのは、その後の経緯を見ると全く政治的な言い訳にはなりません)。

 それというのは結局、当時の大日本帝国の体制であると、なんだかんだ言っても最後は天皇に直接聞いて、「うん」と言わなければ、戦車にしろ、飛行機にしろ、軍艦にしろ、どこかの部隊にしろ、何一つ絶対に動かせなかったはずだからです(当時の大日本帝国では「天皇主権」になっていて、軍事の一番のトップも、なんだかんだ言って、天皇になっています)。

 それと当時の日本軍の兵隊は一部の職業軍人を除いて、ほぼ全員自分から志願して兵隊になったのではなく、例の悪名高い「赤紙(軍の召集令状)」で、当時の日本政府によって「昭和天皇(裕仁)」の名の下に勝手に強制的に徴兵(ちょうへい)された人々ばかりだったということです。

 ですから、本当は論理的に単純に考えると当時の日本政府の開戦責任、及びその後の国内並びに国外の多大な被害や損失の責任、さらに敗戦の責任というのは、なんだかんだ言って当時の昭和天皇(裕仁)ただ一人に帰されるようなところがあったということなのです。

※戦前戦中の日本はものすごい宗教国家で、当時の昭和天皇を国民に「現人神(あらひとがみ)」と崇めさせていた上(実際になかば宗教的な形で礼拝させていた)、かなり厳しい言論統制が行われていたばかりでなく、「大日本帝国憲法」を読むと天皇の権限がものすごく強いことがよく分かるので、そうとしか考えられません。つまり戦争に勝っている時は、昭和天皇(裕仁)の手柄で、戦争に負けたら国民の責任というのは、ちょっと筋違いなのではないかということです。

 ついでに言うと日本の学校教育で論理的思考ができるようになるのを軽視するのは、多分、多くの人々にこういうことを指摘されないようにするためなのではないかと私は考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年8月6日 7:02 PM, 政治 / 教育 / 歴史 / 社会、文化 / 軍事



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