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源氏物語は、現代の感覚で言うと、せいぜい一部のセレブの間で流行った、稀代のプレイボーイを主人公にした長編少女マンガのような位置づけに過ぎない Part 3

4、「暗い」、「怖い」、「ごちゃごちゃ」、「難しい」、「解決不能」、しかもテストでは、「お前は無能」の烙印を押し続ける現代の日本の国語教材の選び方は、かなり非人間的で偏向した異常な人生観や世界観を教えるものになっていないだろうか

 第四には、これは、少し変わった話になるのですが、現代の国語教育の教材を見てみると、これは子供の時代には、あまりよく分からないことも多いのですが、「源氏物語」にしろ、「乱れ髪」にしろ、大人の視点で見てみると、国語の教材って、結構エロチック、というか、人間的、というよりも、結構どろどろとした人間模様を描いた話が、次から次へと出てくるのですが、私は正直申し上げて、子供に、こんなややこしい混乱した世界のあり方や精神状態の話を次から次へと教えて、一体、何がよいのか、全く疑問であるというように感じています。

 それというのは、現代の日本の「文学」と呼ばれるものを見ていると、「主人公が困った。さあ、どうする?」、「さらに大変な問題が持ち上がった。さあ、どうする?」、そして、「その後も、やっぱりダメだった」とか、「とにかく大混乱して、めちゃくちゃになった」とか、「結局、なんだかんだ言って、うまく行った」というような話が非常に多いのですが、これは、はっきり言って申し訳ないのですが、「もし自分や子供や身近な人々が、こんな人生になったら大変だ」とか、「こんな大変になる前に、もう少し頭を使って、スマートに解決できたらいいのに、それが出来ないのが人生だ」みたいな価値観を次から次へと押し付ける、この日本の教科書の選考基準って、一体、何なのだろうか、というのが、私の素朴な疑問になっているのです。

 ですから私は、もし子供が、こうした文学に触れるのであれば、もう少し単純に男女問題なら、ごちゃごちゃ迷わないで、好きなら好きと堂々と言い、ダメならダメと、さっさとあきらめて、常に人生を最高に楽しもうとするような、わりと、さばさばした性格の主人公が登場して、あまり大変な問題にならないような恋愛話とか、性的なことは嫌らしくて難しいなんて、変な価値観を与えずに、もう少し健全で自然な性的な価値観を教えるような話とか、ぐちゃぐちゃ迷った挙げ句に自殺なんて暗い話じゃなくて、もう単純にどんどん理性的に考えて、パッパと問題を解決してゆく、スマートな成功者の話とか、あるいは、大成功を夢見たけど、結局、失敗したなんて話じゃなくて、普通の一市民の仕事や生活の中に、ものすごく充実感や満足感を得ながら幸せな人生を送った話みたいな、もう少し健全で幸福な人生観を得られるような話にしないと、正直申し上げて、こんな暗い、ごちゃごちゃした物事の理解や解決を、ものすごく難しく考えなくてはならなくなるような人生観や世界観を教えるような教材なんて、多感な少年少女に読ませる国語の教材としては、はっきり言って、最低なのではないか、ということなのです。

 こうした、はっきり言うと、普通の人間的な目で見て、「暗い」、「怖い」、「ごちゃごちゃ」、「難しい」、「解決不能」、さらにテストでは、「お前は出来ない」、「無能」という烙印を押されるような現在の日本の国語教材というのは、これは、はっきり言って申し訳ないのですが、精神的には、SMの人生観や世界観を教えているのと、ほとんど変わりないのではないか、というのが私の率直な感想なのです。

 こうした観点から考える限り、たとえ千年前の文学だからって、恋愛はどろどろで、もう絶対解決不能、それから人生の目的も、その場主義的でめちゃくちゃで、最終的な解決も救済もゼロみたいなお話を、多感な十代の少年少女の時代に押し付けるのは、はっきり言って、ちょっと問題が多過ぎるのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年5月29日 9:25 PM, コラム / 教育 / 歴史 / 社会、文化 / 芸術、美



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