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まだまだ完全なユートピア世界とは言えない高次元宇宙の実情

 今回も、前回に引き続き、前に書いた文章からの抜粋になります(途中からで、分かりづらい方は、もう少し前の所から、お読みになることを勧めます)。

 

まだまだ完全なユートピア世界とは言えない高次元宇宙の実情

 前回述べたことからも、よく分かるように、実は、高次元の光の宇宙領域であるからと言って、「すべてがすべて完璧なユートピア世界になっている」、とか、「すべてがすべて平和で安全な完全社会になっている」、などというようなことは、決してないのですが、それというのも、こうした高次元の光の宇宙領域における、できるだけ最大多数の最大幸福というものを、より完全な形で実現しようとしてゆくと、どうしても、それぞれの生命間における自由と自由のバランスであるとか、あるいは、それぞれの生命間の主体性と、それに付随する奉仕性のバランスというものが、時々、崩れがちになってしまいやすかった、ということなのです。

 それと、もう一つの理由としては、前から述べているような暗闇の悪の勢力が、こうした高次元の光の宇宙領域における、たくさんの並行世界や次元世界というものに対して、常に積極的に干渉し、介入してこようとしてくるので、その結果、いつの間にか、それぞれの生命の自由意志とは、全く反した形での、あるいは、そうした自由意志を全く奪われた形での人生の体験や世界の体験というものを、ほとんど無意識のうちに強制させられるような事態に陥ってしまうことが、非常に多かった、ということなのです。

 

 このように、高次元の光の宇宙領域であるからといって、これまでのような光と闇の入り混じった時代においては、「絶対に平和で安全なユートピア世界である」、とか、「絶対に完璧な至福の世界である」とは、決して言えないような、ある意味で、非常に不安定な、また、ある意味で、非常に危険な要素も、結構、現実にあった、ということであるのですが、それは、ともかくとして、要は、こうした無数の並行世界や次元世界が成立するための必然的な要素として、今述べたような形でもって、それぞれの生命が、自分自身の主体的な意思に基づいて、自分が存在し、活動する世界というものを、原則、自由に選ぶことができるし、また、もし複数の世界で、それも自分が主人公というよりも、他の生命の主体性というものを、より尊重した形でもって、自分自身をサブ的な立場に置いた人生や世界の体験をしたい場合には、それも双方の生命間での正当な契約関係がある場合には、原則、いくらでもOKである、というような世界の成り立ちになっていた、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年5月27日 9:12 PM, アセンション・シリーズ 4



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