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霊界の真相 Part 11

 第二には、これも、よくよく冷静に考え直してみると、かなり不思議な話であるのですが、よく宗教において説明されている「神仏」や「悪魔」についての説明というのも、本当は、かなり怪しいのではないか、ということです。

 

神仏と悪魔の起源について

 それでは、こうした宗教で説かれている「神仏」や「悪魔」のような存在に関しては、一体、どのようなことが言えるのか、というと、大体、以下のような二つの内容になります。

 

1、たいていの宗教の神仏は、その宗教の発祥した時代や地域の人々に一番欠けていた性質を、最も完全に補うような究極の人間の理想像やヒーローやヒロインのような人物になってくる

 まず第一には、これは人間的に、あまりにも正直すぎる発言なので、そうした宗教をされている方には大変申し訳ないとは思うのですが、現在、いろいろな宗教で祭られている「神様」や「仏様」というのは、言ってみれば、一昔前の時代の人々が心から憧れ、恋(こ)い求めるような究極の理想の人間像、もしくは、究極の理想のヒーローやヒロインのような存在そのものだったのではないか、ということです。

 それというのは、そうした宗教の発祥した時代や地域の特性を率直に考え直してみる限り、例えば、究極の自己犠牲を払うような救世主が登場する宗教の発祥した地域というのは、裏を返すとその時代、そこにいる大多数の人々は、非常に自分勝手で欲望まみれの人々ばかりであったとか、また究極の知恵を編み出した覚者が登場する宗教の発祥した地域というのは、裏を返すとその時代、そこにいる大多数の人々は、中身のない表面的な理屈ばかりの知恵で満足している人々ばかりであったとか、それから究極の戦争の神様のような人物が登場する宗教の発想した地域というのは、裏を返すとその時代、そこにいる大多数の人々は、長い戦争や混乱で、もうへとへとになり、非常に弱気な意気地のない人々ばかりであったとか、さらには究極の戒律や法典を制定した神様のような人物が登場する宗教の発祥した地域というのは、裏を返すとその時代、そこにいる大多数の人々は、もう自分勝手で戒律も法律も守らないような無法者のような人々ばかりであったなどというように、そうした宗教の発祥した、その時代のその地域の具体的な様子というものを実際にいろいろ調べてみると、これは、はっきり言って大変申し訳ないのですが、そうした宗教の神仏が象徴している理想や、教祖の説く教えというのは、どう考えてみても、その時代のその社会の大多数の人々が、ごく普通の倫理や常識として考えていた内容とは、全く正反対であることが非常に多かったのです。

 

 つまり、これをもう一度、簡単にまとめ直してみると、

①ほとんどの人が欲望まみれで、自分勝手なことばかり考えているような社会の理想的な人物というのは、ものすごく愛に溢れた究極の自己犠牲を払うような人物ということになる。

②ほとんどの人が、中身のない表面的な理屈ばかりの知識しか知らないような社会の理想的な人物というのは、ものすごく知恵に溢れた究極の知者のような人物になる。

③ほとんどの人が弱虫で意気地のないような人々ばかりの社会の理想的な人物というのは、ものすごく正義感と勇気に溢れた究極の軍人みたいな人物になる。

④ほとんどの人が決まりや法律を軽んじて、自分勝手なことばかりするような社会の理想的な人物というのは、非常に厳しい戒律や決まりを定めて、それを厳しく遵守させるような究極の裁判官みたいな人物になる。

 さらには、

⑤ほとんどの人が、あまり自分の頭で考えずに、何でも他人の言いなりになるような人々ばかりの社会の理想的な人物というのは、ものすごくアイデアや独創性に優れた究極の発明家みたいな人物になる。

⑥ほとんどの人が、いつも争い合って、夢のない暗く貧しい生活をしているような人々ばかりの社会の理想的な人物というのは、ものすごく慈愛に溢れた高貴な光の女神のような人物になる。

など(幾らでも続くので、この辺りでやめます)ということが、人類の歴史を見てみると非常に多いのです。

 このように、これは時代が下ってしまうと、いろいろな人々が、ものすごく権威を付けて、いろいろな枝葉の話まで付けて脚色してしまうために、なかなか、よく分からなくなってくるような内容ではあるのですが、実は、たいていの宗教における神仏や、その教祖に当たる人物のその最も優れた性質、というか、その最も際立った特性というものを見てみると、それは、その時代のその地域の人々に一番欠けていた性質、もしくは、もっとはっきり言うと、その時代のその地域の人々が一番出来なかった苦手な内容そのものであることが非常に多かったのです。

 

 こうした状況から冷静に考え直してみる限り、私は、そうした「神仏」と呼ばれるような存在というのは、そうした存在が、本当にそのままの形で存在したと考えるよりは、そうではなく、その時代のその地域の多くの人々が心から憧れ、恋い求めるような究極の理想の人間像、もしくは、究極の理想のヒーローやヒロインのような存在そのものだった、と考える方が、より適切で正しいのではないか、というように率直に考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年1月12日 9:33 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳



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