今回も前回に引き続き、教育の話になります。
それでは、こうした霊的な観点からの見方を前提にして、再度、¥今述べているような人間の上下の感覚や服従や命令の感覚について考え直してみると、一体どのようなことが言えるのかというと、大体、以下の二つの内容になります。
1、たとえ相手が、どんなに小さく未熟な子供であったとしても、教師も含めて大人は、一人一人の子供を立派な一人の人間として大切に扱い、丁寧に接しなくてはならない
まず第一には、これは本当は学校のような公の教育の場では、今すぐにでも改善しなくてはならないような内容になるのですが、前に述べたような霊的な観点や、あるいは人間平等の民主主義の観点から見た場合には、とにもかくにも学校のような公の教育の場では、教師も含めて大人は、たとえ相手が、どんなに小さな子供や、まだよく世の中のことを知らない少年少女であったとしても、立派な一人の人間として丁寧に扱い、そして、そう簡単に相手を呼び捨てするような乱暴な言葉を使ったり、一方的に命令したり、勝手な評価を加えたりして、相手の人間性を傷つけるようなことは絶対にしてはいけないということです。
2、子供の学習における自由選択の幅を、現在以上にもっともっと大きく広げることが重要である
第二には、これも本当は学校のような公の教育の場では、今すぐにでも改善しなくてはならないような内容になるのですが、とにもかくにも現在の日本の学校は、子供が自由に選んだり、決めたり、また何か自由に創造したり、発表したりするような機会があまりにも少なすぎるということです。
その反対に現在の学校運営においては、自分が直接選んだわけでもなければ、決めたわけでもないような科目の授業を、自分が直接選んだわけでもなければ、決めたわけでもないような教師の口から、自分が直接選んだわけでもなければ、決めたわけでもないようなテキストと方法で、何百時間、何千時間とあまりにも一方的に非人間的な形で授業を押しつけ続けようとしてくるようなところがあるのですが、はっきり言って、これは一昔前の典型的な貧乏国の日本の学校でなら、まだ少しは分かるにしても、現在の日本のような世界でも稀に見るような民主主義の経済大国の国の学校運営としては、裏に何か巨大な利権でもあるか、何か巨大な陰謀でもあって、たとえいかなる市民の要望やクレームが山のごとく来たとしても、無理やり押しつぶしながら強引に運営し続けているとしか客観的に見る限り、ほとんど言いようがないのではないか、というような印象を私は率直に持っております。
それでは、こうした観点から現在の学校運営で大至急改善の必要があると思われる内容は、一体どのようなことになるのかというと、これは前にも述べたように学校の授業の内容が、仕事や生活で即使えるような内容ばかりになっているということを前提とした意見になるのですが、大体、次のような三つの内容になります。
①子供が、自分自身の意思で、自分の修得する科目や教師やテキストや学習方法を最大限に自由に選べるようにするべきである
まず第一には、子供が直接、自分の意思で、自分の好きな科目や先生を選んだり、その科目のテキストや修得方法を選べるような自由選択の余地を、できるだけ大きく与えてやるようにすることです。
つまり、これだけは民主主義国の市民として知っておいてもらわないと絶対に困るというような内容はともかくとして、それ以外の内容については、もう自分がやりたい科目も自由、自分が授業を受けたい教師も自由、それから自分が学ぶためのテキストもやり方も自由などという具合に、基本的に一人一人の子供が、自分で自由に選んだり、決めたりできる範囲をできるだけ最大限に拡大して、一人一人の個性や才能を最大限に伸ばしてゆけるような学習環境を整えてゆく必要があるということです。
追伸
これは日本の学校(特に中学校)に行ったことのある人なら、多分誰でも身に覚えのあるような内容なのではないかと私は思うのですが、一昔前の大卒がまだ珍しかった時代ならまだしも、現在のように大卒の人なら、国中もうどこにでもいるというような時代に、いくら大卒で教師の免状を持っているからといって、教師が一人一人の生徒を荒っぽく呼び捨てにして、一方的に命令調の授業を行い、その上、教師が一方的に生徒を評価して、そして授業をする側の教師の評価は、生徒や親の側からは絶対にできないようにするというような現在の学校の運営は、これはみなさんがよく馬鹿にしている北朝鮮の学校の運営と、はっきり言って、霊的には、さほど変わりないのではないか、というように私は率直に感じております。
特に「ちょっと時代錯誤かな~」と思われるのが、子供が中学校に行く頃になると、なんと日本の学校だと「入学許可を与える、うんぬん」と書かれたハガキを送ってきたりするところなのですが、今時、一体どこにそんな偉い人がいて、普通に同じ平等な権利を持っている市民の家に、そうした、まるで自分の方が完全に立場が上ということをあからさまに書いてあるような、まるで召集令状のようなものを送ってくるのか、私には全く理解不能であるということなのです(これって霊的に見ると、誰かの臣下にするというような結構怖い内容ですよ)。
さらにその後がもっとひどくて、冷静に振り返ってみると、たいてい、どんな親でも自分の子供が生まれた頃には、本当に「可愛い、可愛い」と自分の子供を心から可愛がっていたはずなのに、特に中学に行き出す頃になると、なんだか子供の表情や体がものすごく硬くなって顔色も青くなり、些細なことで親に反抗してきたりするようになるのですが、はっきり言って、「これって子供のせいでも親のせいでもなくて、ほとんど全部、学校の責任でしょ。さっさと直せばいいのに、なんでいろいろ理由をつけては、何十年経っても何にも変えないの?」というのが、ここで述べているような学校に対する主張であるということです。
Cecye(セスィエ)