二つめは、これもかなり難しい内容になるのですが、そうした政治家を選ぶ際には、どうしてもその人の考え方の大きなバックボーンになっている宗教や思想的な背景についてだけは、一度、しっかりとチェックする必要があるのではないか、ということです。
そうすると普通、誰でも、すぐにわかるような内容としては、誰がどう見ても、かなり極端で過激であると判断されるような一部の宗教や思想があげられるのではないか、と思われます。
ところが、ここで非常に難しくなってくるのが、そうした一部のかなり極端で過激な宗教や思想ばかりでなく、場合によっては、現在も、わりとポピュラーなキリスト教やユダヤ教やイスラム教などのような世界的な宗教の中でも、わりと厳格に昔からの教義をきっちり守り抜こうとするようなタイプの宗教の影響というものもあるのではないか、ということなのです。
それは、いったいどのような理由からなのか、というと、かなり簡単に要約して述べると、そうした宗教では、一方では、愛や慈悲を説き、善良な人間性の高みを目指してゆくようなところがあるのですが、ところがその一方では、そうした教義の正邪に照らして、結構厳しく他の人々を非難したり、また時には、かなり激しく攻撃して、排除したり、罰を加えたりして、様々な暴力行為を正当化していってしまうようなところもあるからです。
それゆえ現代のような民主主義や、自由や人権を重んじるような政治制度の時代になると、そうした宗教を信じている人々としては、まるで絶対の真理や正義に基づいて、様々な政治判断をしているような気持ちになっているはずなのに、実際には、かなり荒っぽい軍事行動や社会弾圧や、排他的なナショナリズム的な政治を行ったりするようになって、はっきり言うと現代社会の国や政治の営みとしては、だんだん大きく外れてゆき、大きな混乱状態に陥ってしまうこともあるようなのです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2025年8月22日 9:03 PM, イスラム教 / キリスト教 / ユダヤ教 / 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 神道 / 軍事