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現代の民主主義の問題点と、その解決策について Part 23

 そうすると、はっきり言って、現在のような民主主義政治であったとしても、また、どのような人や集団が、政府や議会を運営しようとしたとしても、結局、憲法や法律や、様々な政治的な決まり事の中で、どうしても多くの人々がすぐにイメージしがちな、ものすごいパフォーマンスの政治などというものは、なかなかそう簡単には実現せずに、どちらかと言うと毎日の政府や議会の運営では、一見、わりと地味な、かなり細かい正確な状況の確認や、話の詰め合わせの上で、時折、重要な政治的な発表をしたり、政治的な成果を見せることがあるなどというような政治状況になっていってしまうようなところがあるのです。

 ですので、毎日、エンターティンメントやスポーツやインターネットなどで、キラキラした楽しい、刺激的な情報に慣れ親しんでいたり、また毎日、現代社会の様々な便利で快適なサービスに慣れ親しんでいる多くの人々の生活の中にあっても、選挙の際には、かなり冷静な知的な態度をとって、はっきり言うと、そうしたエンターテインメントやインターネットの世界のようなキラキラした人間ではなく、多少地味でも、できるだけ賢明な、最も正しい政治的な仕事をし続けてくれるような、言ってみれば、自分達の国や地方の中で、最も優秀な指導者を選んでゆかなくてはなりないようなところがあるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2025年7月21日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化

現代の民主主義の問題点と、その解決策について Part 22

 つまり、多くの人々の政治の世界についての単純な思い込みとはかなり違って、与党的な立場で政治を運営してゆこうとすると「普通の仕事と違って、時間はかかるのだが、憲法や法律や、これまでの政治的なノウハウから、どうしても今のような民主政治を行い続けるには、こういうやり方をするしかない」「野党の時と違って、政府の大臣になると、すぐに全国的なニュースとして報道されるので、そんな気軽に適当なことなんて、言えなくなってくる」「予算を削減しろと言われても、今日の生活に困っている人達や病気で苦しんでいる人達のための予算なんて、そんな簡単に減らせるものじゃない」「大臣の仕事なんて、ほとんどニュースにもならないような地味な仕事が多いのだが、一つ一つ真剣に、かなりきっちりした判断や行動を積み重ねてゆかないといけないものが多い」「自分の評判は多少悪くなるかもしれないが、これは政治家として、かなり毅然とした態度でやらないといけない、とても重要な政治的な課題だ」などというように、はっきり言ってしまうと、多くの普通の人々がイメージしがちな、とにかく多くの人々の前で雄弁に喋っていて、他の人々と会ったり、一方的に命令できるような政治家の仕事なんて、ほとんどなくて、かなり細かい話を詰めて、最終的な決裁をつけたり、他の政治家や官僚と現在の正確な状況を確認したり、憲法や法律との整合性をしっかり確認した上で、時々、必要に応じて、人前に立って、大事な発表を行ったり、練りに練った発言をする」などというように、はっきり言ってしまうと、選挙の際の政治的なパフォーマンスと、実際の政治の仕事には、かなり大きな違いがあるものなのです。

※選挙の際に、野党的な候補者や政党が優勢な場合、まるで、それまで与党的な立場の政治家や政党は、全く無策で何もしていなかったかのような印象になりがちなようです。ところが政府や議会の運営というのは、止めるわけにはいかないので、よく調べてみると、そうした間にも与党的な立場の政治家や政党は、ずっとコツコツと様々な成果や実績を積み上げていることが多いようです(野党的な立場の政治家や政党も、そうした政治的な成果や実績を上げていることもありますが・・・)。ですので、そうした選挙の際には、単に言葉だけでなく、それまでの与党の政治家や政党の政治的な成果や実績についても、もう一度、冷静に評価し直すことが大事になるのではないでしょうか。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2025年7月20日 10:03 AM, 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化

現代の民主主義の問題点と、その解決策について Part 21

 それというのは、選挙の際に野党的な立場の候補者や政党に投票する人が多いと、その後、次のような政治状況になることが多いからです。

 まず一つめは、そうした選挙の結果、与党が過半数割れして、非常に不安定な政権運営になった場合には、それ以降、そうした現在の政治状況を変えようとして、政府や議会ではずっと、ああだこうだというような政治論争が続くことになるので、非常に重要な政治的な決定が常に先延ばしになって、はっきり言うと、なかなか何も決まらない、何もできない政治状況がずっと続くことが多くなってゆきます。

 もう一つめは、そうした選挙の後に、野党が政権をとったケースについて、考えてみたいと思うのですが、そうした政治状況の場合、それまでの政治のあり方をことごとく否定して、全く違う政治的な決定や行動を次々と断行してゆこうとすることが多くなってゆくのではないか、と思われます(ただし、その時々の政治状況によっては、そうした政治運営が必要なケースもあるとは思いますが・・・)。

 ところが、そうした政治的な状況になったとしても、しばらくすると以前に与党だった政府や議会とほぼ同じような制限や問題にぶつかって、だんだん、いろいろなものが空回りしだしてゆくことが多いようなのです。

 つまり多くの人々が期待したような野党的な公約は、現実に政府を運営するようになると、途端に様々な政治的な制約や、多くの人々のかなり切実な利害関係によって、だんだん行き詰まるようになってゆき、結局、以前に与党的な立場だった政治家や政党の時代の政府や議会の状況とあまり変わらなくなっていってしまうことが多いようなのです。

※つまり元は、どんな政治家や政党であったとしても、与党として、ちゃんと責任をもって、きっちり政治運営をしてゆこうとすると、結局、やってよいことと、やってはいけないことや、すぐにできることと、時間をかけないと、なかなかできないことなどは、ほぼ同じような立場に立たされることが多いので、どうしても一定期間経つと、だんだん似通った政治的な印象になってゆきがちなところがあるようなのです。

※ですので、現在の政府や議会を運営している与党が、あまりにもどうしようもないので政権交代した方がよいと判断されるのであれば、全く別なのですが、そうではなく現在の政府や議会を運営している与党が、その時々の政治状況として、最高とは言えなくとも、常に最善の政府や議会の運営をしっかりやり続けていると判断される場合には、国民の立場としては、あまり気分や感情で、パッと野党の候補者や政党に投票するのではなく、できるだけ知的かつ冷静な立場で、与党の候補者や政党に投票した方がよいのではないか、と私は思います。しかし、それと同時にもし強い不満や要望がある場合には、それもしっかり伝えて、その後の政治運営にしっかり反映してもらうようにすることが非常に大事なのではないか、というように思われます。その方が国民の立場としては、選挙の後に、あまり不安定な政治環境の下に置かれることなく、よりしっかりと安定した、より良い政治環境の下で生活することができるので、よりメリットが高いのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2025年7月19日 9:03 PM, 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化

現代の民主主義の問題点と、その解決策について Part 20

 たくさんの党や候補者があることもありますが、非常に難しいところを、かなり簡単に要約すると、国や地方の選挙では、現在の政府や議会を運営している与党的な立場の候補者や政党に投票するか、あるいは、現在の政府や議会を運営していない野党的な立場の候補者や政党に投票するかの二つの選択肢の中から、どちらを選ぶか、あるいは、その二つの選択肢も放棄して、投票という行為自体を棄権してしまうか、というような、数年に一度の人生の選択の機会になっているわけです。

 それでもし、そうした選挙の際に、現在の政府がとんでもない政治的な横暴を働いてるとか、とんでもない大失敗をして、もう政権を担わせない方がよいと判断されるのであれば、そうした与党的な立場の候補者や政党には投票しない方がよいのではないか、と思われます。

 しかし、もし、そうではなく、現在の政府は、完全とは言い難いにしても(普通の私達の仕事や生活と同じで、完全な理想の政治なんて、実際にはないものなので・・・)、その時々の国際間の関係や、政治や経済の状況において、なんとか常に最善と思われる政治をしっかり行い続けていると判断されるのであれば(精神的には、多少抵抗感を感じるかもしれませんが・・・)、はっきり言って、あまりぶっ飛んだ、訳のわからない理想的な政治を掲げる野党的な候補者や政党には投票せずに、現在の政府や議会を運営している与党的な立場の候補者や政党に投票した方が、民主主義社会に生きる一般市民の投票行動としては、かなり妥当な、最も賢明な正しい政治的な判断になりやすいのではないか、というように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2025年7月16日 9:04 PM, 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化

現代の民主主義の問題点と、その解決策について Part 19

 そうすると政治の世界では、そうした政治の世界の仕組みややり方について、たくさん学んで経験を積み、かなり熟知した上で、一つ一つの政治的な課題をきっちりと解決し続けてゆけるような、言ってみれば、かなり知的かつ精力的なタイプの人物が非常に向いているようなところがあるわけです。

 ところが、はっきり言って、そうした人物というのは、一般に大衆受けが悪いことが多いので(たまにそうした人物であっても、大衆受けしやすいパフォーマンスが上手な人もいますが・・・)、多くの普通の人々の感覚からすると、いつも見慣れているエンターティンメントやインターネットのキラキラした世界と比べると、パッと見た印象としては、「なんだか、普通のおじさんだな・・・」「しっかりしていて、賢そうだけど、よく聞かないと何言ってるのか、よくわからないなあ・・・」などというような感想を持つことも多いようなのです。

 そこに「今の政治は間違っている」「◯◯には、大変な問題があるんだ!」「今の政治と戦うんだ」「◯◯と戦うんだ!」などと雄々しく演説している人々を見ると、「なんだか映画やアニメのヒーローみたいだな・・・」「なんか社会の不正と戦うとか言ってるから正しいのかな・・・」などというような、わりと単純な評価をしてゆきやすいようなところがあるわけです。

 このように現在のような民主主義の社会であるからと言って、常に常に必ずしも、最も良い政治家選びがなされるとは限らないところがあるのですが、そうすると、いったいどのように考えてゆけばよいのか、というと、だいたい次のようなことが言えます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2025年7月16日 9:03 PM, 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化

現代の民主主義の問題点と、その解決策について Part 18

 つまり、はっきり言ってしまうと、毎日、わりとその時々の気分や感情に流されてしまうことも多い普通の大多数の人々が、投票によって選ぶその国や地方のトップや、議会の議員の性質としては、気分や感情で動くような人は全く向いていなくて、多くの普通の人々の生活感覚ぐらいはよくわかっているにしても、言ってみれば、学者や経営者のような職業ができるくらいの、できるだけ優秀な人物を選んでゆかなくてはならないようなところがあるのです。

 ですので、そうした選挙の性質上、例えば、普通の生活では、「ああ、選挙では、自分が好きな政治家を選んでいいんだよな。それなら、あいつは面白そうだから、よし、あいつに投票することにしてみよう」「なんか、あいつは偉そうで虫が食わない。もっといろいろ政治をかき回してくれそうな、あいつに投票することにしよう」「政治なんて、ろくでもないので、とにかく何でも反対してる野党に投票しておこう」「あの人が好きだから、あの人に投票します」などというような感覚で選挙の投票に行く人が多いと、どうしても、そうした国の政治というのは、最初は良くても、だんだん、ごちゃごちゃと混乱するようになってゆきやすいようなところがあるのです。

 こうした観点から見ると、要するに政治の世界であっても、巷の芸能界やインターネットの世界とほぼ同じような感覚で、「ああ、この人は面白い!」「なんて過激な意見で刺激的なんだ!」「言ってることが普段聞かないようなことばかりで、すっかり圧倒された」「言動が過激で強く印象に残った」「今すぐ政治をぶっ壊すなんて、なんてロックなんだ」「何かと戦うなんて、凄そうだな!」「今の政治はみんなろくでなしとか言ってて、カッコいい!」「あの人はルックスや衣装が素敵だ!」などというような感じで政治家選びをしていると、選挙の際は、それで良かったとしても、そうした人々が実際の政治の世界に入っていっても、なかなか思ったような政治の流れには全くなってゆかないことが多いようなのです。

 それはなぜなのか、というと、人類の歴史では、昔から政治家の横暴で、多くの人々がとても苦しんできた歴史があるので、近現代の民主制度では、とにかく、そうした政治家の横暴が起きないように、憲法や法律で細かく政治家の権限が制限されていたり、また権力分立の制度で、政府と議会と裁判所などの間で、お互いに権力が行き過ぎないように対立させてあったりするものなので、はっきり言ってしまうと、政治家が何かやりたいことがあっても、それが絶対に多くの人々への行き過ぎた横暴にならないように、そうした政治権力をかなり厳しく制限するような仕組みが、政治の世界には、かなり入念に細かく導入されているようなところがあるからなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2025年7月15日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化

現代の民主主義の問題点と、その解決策について Part 17

4、かなり過激な極端な政治的な主張にも間違いが多いので、非常に注意が必要である

 それから第三には、みなさんもよくご存知のように政治家の候補者の演説を聞いていると、「え、そんな話あったの?」「え、そんなことやっていいの?」などというように、普段、政治のニュースでも、私達の仕事や生活でも全く耳にしたことがないような、かなり過激で極端な主張をしてくる政治家の候補者や政党もあるものなのですが、こうした政治家の候補者や政党の主張は、とにかく多くの人々の意表をついていて、かなり怖がらせられたり、かなり驚かされたりすることも多いので、非常に強く印象に残ることも多いのではないか、と思われます。

 こうした多少過激で極端な主張は、要するに選挙の機会を利用して、多くの人々に強くアピールして、何らかのことを伝えようとしていることも多いのではないか、と思うのですが、やはり、こうした政治家の候補者や政党の主張に関しても、すぐに驚いて、飛びついたりせずに、いったん少し冷静な態度に戻って、家族や友人に意見を聞いてみたり、もう少し客観的な第三者的な立場の人々の意見も聞いて、ある程度冷静かつ客観的な態度で、自分の政治的なスタンスを決めていった方がよいのではないか、と思われます。

 現在の民主主義社会は、はっきり言ってしまうと、その時々の気分や感情で動くことも多い、多くの普通の人々の選挙によって、国や地方のトップや、議会の議員を決めてゆくような政治制度になっています。

 ところが実際の政治家の仕事というのは、とてもではないが、その時々の気分や感情で、好き勝手にやってよいようなものではなく、はっきり言ってしまうと、「これは自分は気持ち的には全く反対なのだが、現在の憲法や法律的な立場としては、こういう判断をするしかないか」「この社会問題に関しては、反対者が非常に多いのはわかるのだが、しかし現在集められる、最も正しいと思われる専門家の助言によれば、そうすると近い将来、大変な大問題が発生することがほぼ確実なので、現在の時点で最も正しいと思われる政治的な決断としては、こういうことになるだろう」「確かに多くの人々が言うように、俺もあんな奴は大っ嫌いなのだが、国と国の外交の問題がとても複雑に絡んでいるので、みんなの言うようにそんなぶっきらぼうな態度はとれないから、なんとか冷静を保って、友好、親善に努めるしかないのではないか、と思っている」「これは一部の人々の日々の生活に直結するような大変な問題であるかもしれないが、本当に財政が厳しく、しばらくしたら、そうした制度全体がダメになってしまう可能性もあるので、かなり気が重いが、どうしても多少削減するしかないか・・・」などというように、はっきり言って、多くの普通の人々の生活のように、その時々の気分や感情で動けるようなものではなくて、憲法や法律に則った上で、できるだけ正確なデータや情報に基づいて、その時点で最も正しいと思われる政治家や官僚や専門家などの助言も参考にしながら、また、できるだけ多くの国民の支持をきっちりもらえるような形で、しかも財政的にも絶対に大きなマイナスにはせずに、必ずプラスになるように細かく計算した上で、さらには未来の幸福や繁栄も必ずもたらされるように、かなり冷静かつ客観的に、少しでも叡智に近いレベルの政治的な判断や行動を、毎日、淡々とし続けてゆかなくてはならないようなところがあるわけです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2025年7月14日 9:03 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化

現代の民主主義の問題点と、その解決策について Part 16

 しかし、ここで大事なのは、いかに憲法や法律に則った上で、国民の利益に合致した、正しい政治的な判断が下せるかどうか、ということなので、そうした観点から見ると、はっきり言って、それほど重い責任を負っているわけではない野党的な立場の政治家や、マスメディアのジャーナリストや、インターネット上の発信者の人々が、いくら言論的に優勢な立場になっているように見え、また与党的な立場の政治家の人々が、いくら守勢的な立場になっているように見えたとしても、そうした状況だけで与党的な立場の政治家の言葉は、何でもすべて間違っていて、また野党的な立場の政治家や、マスメディアのジャーナリストや、インターネット上の発信者の人々の言葉が、何でもすべて正しいとは、なかなか言えないようなところがあるのです。

 このように一般に私達が生活している民主主義社会では、単に言論的な立場を見ると、野党的な立場の政治家や、マスメディアのジャーナリストや、インターネット上の発信者の人々の方が非常に優勢で、与党的な立場の政治家の方が非常に守勢に見えるようなことがあったとしても、より良い政治家選びのためには、そこで、もう少し冷静かつ知的な立場をとって、そうした言論の状況の中にあっても、多くの人々の意見をきっちり聞いた上で、憲法や法律に則って、最も正しい政治的な判断ができる政治家の候補者や政党に投票してゆくことが、とても大事なのではないか、というように私は考えております。

※ただし、これは常に与党的な立場の政治家の意見が絶対的に正しく、野党的な立場の政治家や、マスメディアのジャーナリストや、インターネット上の発信者の意見が絶対に間違っているなどと言っているわけではありません。ですので、そこは先ほども述べたように学者や、マスメディアのジャーナリストや評論家などの客観的な意見も、ある程度しっかり見聞きした上で、最も良いと思われる選挙の投票をすればよいのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2025年7月12日 9:04 PM, 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化

現在のトランプ氏の関税政策について Part 23

 そうすると、ここからがとても大事になってくるのですが、一般に経済成長すると自国の通貨が上がり、輸入品の価格が下がってゆくようになるのですが、そうした輸入品の中には、石油や天然ガスなどのエネルギーも含まれていることが多いので、はっきり言うと食料や生活必需品やエネルギー価格などが、だんだん下がってゆくので、生活は楽になり、豊かになってゆくことが多いようです(現在の日本では、長いデフレが終わって、国際情勢の変化から、そうした輸入品の価格が上がっていることで、ずっとインフレが起き続けてしまっているようです)。

 しかし、その一方で国内の経済状況としては、国産品に何らかの付加価値をつけていったり、新商品や新サービスを作って、新しい需要を掘り起こしていったりして、新しい産業を作り出していったりするような、かなり厳しい市場競争が起きることになるので、企業や個人の仕事としては、それ以前の農業などで、わりと単純な労働に一生従事していればよかった時代と比べると、景気の上がり下がりもあるので、結構厳しいサバイバルを要求されるような社会に大きく移り変わってゆくようなところもあるようです。

 それでは、そうしたある程度、経済成長した段階の国の社会では、いったいどのような経済的な見方を持つことが大事なのか、というと、確かにそうした国の社会の状況であっても、放っておくと国や地域としては、どんどん衰退していってしまうような経済の状況になってしまうこともあり得るので、その国や地域が得意とするような何らかの有力な産業を起こして、他の国や地域から、たくさんの人やお金を呼び込んでいったり、また他の国に輸出できるような有力な商品やサービスを作り出してゆくことがとても大事になります。

 そして基本的には、その国や地域の経済状況を見た際に、ある程度しっかりと経済的に繁栄している状況が実現できているのであれば、それでよしとすればよいのではないか、ということになります。

 それでは、その国や地域として、経済的に繁栄している状況とは、いったいどのような状況なのか、というと、個人や企業の経済活動が活発で、その国の政府や地方自治体の行政サービスが、きちんと維持してゆけるだけの税収がしっかり得られていて、もう少し具体的に言うと、直接社会不安につながるような失業者の増加や、多くの人々の経済生活を困難にするような過度のインフレが起きずに、ある程度物価が安定していて、経済成長による多少のインフレ基調が続いているのであれば、国家の貿易収支が黒字であろうが、赤字であろうが、とりあえず国や地域全体の経済運営としては、よしとするというような経済の見方をしてゆけばよいのではないか、というように私は考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2025年7月12日 9:03 PM, 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化

現在のトランプ氏の関税政策について Part 22

経済成長してゆくと、やがて貿易黒字が多かった時代は終わり、貿易赤字は多くても、経済的には非常に繁栄している時代に大きく移り変わってゆくようである

 それでは、現在のような世界の経済の状況において、こうした貿易黒字や貿易赤字の問題に関しては、いったいどのように考えてゆけばよいのか、というと、先ほどから何度も述べているように、確かに現在のような自由貿易体制の世界において、その国の経済が発展している時代には、企業の輸出が増えて、貿易黒字が非常に大きかった時代の印象が強く残っているかもしれません。

 ところがそうした時代を過ぎて、ある程度の規模の経済大国になってくると自国の通貨の価格も上がるので、輸入が増えて、貿易赤字が増えてくるのは、国の経済成長の過程で起きるある意味、当たり前のよくある経済的な変化なのだと、ある程度、理性的に理解し直すようにした方がよいのではないか、ということです。

 ただ先ほども述べたように普通、個人や企業の会計では、「黒字は収入や儲けを表すので良いことで、赤字は借金や損失を表すので悪いことなのだ」と考えられることが多いので、そうした黒字と赤字のイメージによる貿易収支についての考え方の混乱は、今後も、そう簡単には変わらずに多くの人々の間に残ってゆき続けるのではないか、とも思われます。

 それでは、そうした経済成長して、ある程度の規模の経済大国になった段階では、いったいどのような経済的な変化が起きているのか、というと、まずは通貨が高くなっているので、輸入品の価格が下がり続けていることが多いのですが、そうすると、それまで輸出品をたくさん作っていた企業は、安い労働力を求めて、海外進出していることが多いようです。

 そうした経済の状況になると、要するに海外からの輸入が増えて、貿易赤字も大きく増えてゆくようになりがちなのですが、しかしながら自分の国の企業がそうして稼いだ利益を得たり、また、そうした企業で働いている人々も給与としてもらうようになってゆくので、その結果、貿易収支以外のサービス収支や第一次所得収支などの黒字が、だんだん増えるようになってゆくようです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2025年7月11日 9:04 PM, 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済