しかし近現代以降の民主主義の時代になると、それがかなり大きく変わってきていて、「どんなに学識や能力が高い人であっても、選挙で一定以上の得票が得られなければ、政治家になることはできない」「優れた政治家は、政治的な手腕ばかりでなく、多くの普通の人々の生活感覚もよくわかっていることが要求される」「ひとたび選挙となれば、まるで当たり前のように多くの人々にペコペコ頭を下げたり、硬く握手したりして、地元に地に足のついた、かなり地道な選挙活動をしなければ、しっかり当選し続けてゆくことができない」「場合によっては、かなりきっちりとした素晴らしい政治的な実績を上げていたとしても、様々な理由で選挙では、あまり評価してもらえないこともある」「お金のかからない選挙にしたいのは山々だが、実際の選挙では、かなりの大金がかかったり、一緒に協力してもらうたくさんのボランティアのスタッフが必要だったりするのだが、なかなか理解してもらいづらかったり、何かあると、すぐに大きな批判を受けてしまうことすらある」などというように、はっきり言ってしまうと大多数の普通の人々が考えている政治家のイメージと、実際の政治家の仕事の実態は、様々な場面で、かなり大きくずれてゆきやすいようなところがあるのです。
つまり、もっと簡単に言うと大多数の普通の人々から見ると、ともすれば、ものすごく権威の高い雲の上の存在になってゆきがちな政治家の人々のイメージと、確かにそうした立場であるようなところもあるのだが、しかし選挙においては、常に大多数の普通の人々からのかなり強い地道な支持や応援がなければ、そうした政治家の立場に立ち続けてゆけない実際の政治家の立場との間には、様々な点で大きなズレが生じてゆきやすいようなところがあるのです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)