4、ナショナリズムや民族主義の根源的な原因について
それから四つめは、今度は、少し視点が変わってくるのですが、実は、多くの人々が「ナショナリズム」とか、「民族主義」だと深く思い込んでいるもののうち、これは全部とは言わないのですが、少なくとも7〜8割ぐらいのものに関しては、そうした多くの人々の深い思い込みとはかなり違って、実際には、かなり違った人間の感情、というか、ある種のすり替わった感覚なのではないか、ということなのです。
これも専門書ではないので、かなりはしょって、ここでは要点だけを述べてみたいと思うのですが、大まかに言うと、次のようなことが言えます。
1、一見、世の中には、常にたくさんの大変な問題があるように見えるかもしれないが、ほんの少しずつであっても、より平和で安全な、より素晴らしい豊かで幸福な世界を目指し続けてゆくことが、とても大切である
まず一つめは、テレビを見たり、新聞や雑誌を読んでいると、現在の世界には、常にたくさんの大きな問題があるように感じられます。
今日も、「どこそこで大変な事故や犯罪が起きた」とか、「今日も政治家や財界人が、何かとんでもない間違いをやらかした」とか、「自分の国では、特に大した出来事は、何も起きなかったけれども、海外のどこそこの国では、今日も何かとんでもない大変なことが起きた」などというようなニュースが、毎日のように流れてくるので、はっきり言って、そうしたテレビや新聞のニュースを見ていると、毎日毎日、私達の世界には、とんでもない大変なことが起きていて、そして問題は山積みで、場合によっては、本来、そうした問題を上手に解決してくれるはずの政治家も役人も軍隊も警察も、はたまた有力な経営者や、有名な芸能人も、みんな無能で、何をやっても、うまく行ってないような気分になってくることも多いのではないか、と思われます。
ところが、よく考えてみると、とても不思議なことに時間を遡って、十年前、二十年前と過去の時代を振り返ってみると、確かにその時には、大勢の人々にとって、とても大変な問題に感じられていたような問題も、多くの人々が、本当に真剣に様々な努力や工夫を積み重ねてきたり、また多くの専門の人々によって、様々な解決策や改善策が講じられ続けてきた結果、現在の私達の世界は、たとえ遅々とした歩みではあっても、そうした以前の時代と比べると、より平和で安全な、より素晴らしい豊かで幸福な世界に変わってきているようなところがあるわけです。
Cecye(セスィエ)