ですから、もし他の人々のことに対して、ものすごく腹が立って、厳しく間違いを糾弾したり、ものすごく責めてみたいとか、また場合によっては、何か犯罪まがいのことをしてみたいと思うことがあったとしても、その時には、少し踏みとどまって、「本当に自分は、相手の状況や立場をよくわかっているのだろうか」、そして、「本当に自分には、他の人の罪を責めるだけの資格があるのだろうか」ということを、もう一度、冷静に振り返ると共に、それでも何らかの真実の追求や、自分の感想や意見を表現したいということであるなら、そうした際には、あまり他人を一方的に責め裁いたり、この世的な暴力に訴えるような態度はとらずに、できるだけ冷静に「本当の事実関係の状況や、本当の相手の真意は、いったいどういうものであったのか」ということをよくよく見定めた上で、そうした自分の感想や意見を発表したり、何らかの行動をしてゆくことが、とても大切なのではないか、ということです。
※ただし、第三者的な立場ではなく、何らかの直接の被害を受けた当事者や、その関係者の人々が、多少感情的になって怒るのは、致し方ない面もあるのではないか、と思われます。ただ最近は、特にネットでは、匿名で気軽に簡単に、いろいろな表現ができるために、一部の人々は、非常に無責任な、いい加減なことを、あたかも正論のように言うことがあったり、また、まるで自分は、すべてを裁けるような偉い人間であるかのように勘違いしているケースも多いようなので、まずは人を責める前に、本当に自分自身が、それだけの人間なのか、問いただすような心構えというのは、とても大事なのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)
2017年6月28日 9:06 PM, 人生観、世界観 / 現在のアセンションの状況