それでは、そうした古代の日本に到達したユダヤ人の人々は、いったいどのような文化を作っていったのかというと、これは多少不思議な話になるのですが、その後も彼ら独特の宗教的な営みは、かなり長い年月に渡って、そのまま続いていったようなのですが、日本に入ると、家畜の放牧をするよりも、古代の中国から伝わった稲作による農業を行った方が遥かに生産性が高いために、古代の日本では、わりとすぐに農業主体の文化に変わっていったようです。
さらに日本に入ると、少し奥地の山の中のような土地に入ってゆくと、もう大陸にいた頃の時代のように、突然、襲撃や略奪に遭うとか、隣の超大国から盛んに侵略戦争を仕掛けられるとか、とんでもない宗教弾圧や差別を受けるなどというようなことがほとんどなかったために、そうした辺境の島国独特の安心感から、だんだん彼ら独特の宗教的な習慣は廃れるようになっていったようです(ただし、現代まで多少形を変えながらも、そのまま残っているものも、結構あるようです)。
それと、これは現在の日本にもほぼ同じように言えることなのですが、この国には、昔から少し変わった落ち着きというか、独特の居心地の良さのようなものがあって(多分、未来の日本の霊的な影響なのでしょうが・・・)、いったん住み着いて、何世代か、わりと安心して住み着いてしまうと、それ以前の生活のように様々な異国に囲まれて、かなり緊張した生活を強いられるような状況で発達した一神教的な感覚が、だんだん緩くなってゆき(つまり、常に一番優秀な強いリーダーシップのある人間についてゆかないと生きてゆけないような感じでなくなっていった)、「まあ、あの人達の文化もいいけど、この人達のやり方もいいか」とか、「あの神もいいけど、この神もいいってことにしておいた方が、みんな仲良く生活できるからいいか」というような感じで、だんたん、一応、一神教自体はしっかり残っているのですが、実態は、いろいろな神様を祭っている多神教のような宗教形態に変わっていってしまったようです。
※当時の日本では、あちこちに結構、違う神を信じる、違う言葉を話す民族というか、部族がいたようなので、彼らが多神教的な宗教形態になっていったのは、不必要な争いを避けるためでもあったようです。
Cecye(セスィエ)