二つめは、そのようにして様々な問題を、ある程度しっかり分別した後は、この内容については、かなりしっかりとした解決や改善を目指すけれども、この内容については、何かよほど大問題でも出てこない限りはあまり深く考えずに、できるだけ気軽に楽しく幸せに過ごすなどというように、自分の考え方や行動に大きくメリハリをつけることが、とても大切になるのではないか、ということです。
つまり、普段の学業や仕事や生活において、いつも間違えたり、苦労していたり、いつも他の人々から怒られたり、注意されたり、文句を言われているような内容に関しては(あと、将来的に大問題になると予想されていることに関しても)、できるだけ早く、ある程度まとまった時間をとって、いろいろ調べて考えたり、あるいは誰かと話し合って、しっかりした解決策や改善策を見出すことがとても大切になるのですが、そうではなく、もうその時点では、そうした解決策や改善策が十分に施されているような内容に関しては、あまり深く悩んだり考えたりせずに、できるだけ単純に楽しんで幸福に過ごす習慣を身につけることが大切なのではないか、ということです。
このように人間というのは、常にいろいろな情報を受け入れては、いろいろなことを考え続けてゆくものなので、放っておくと、ありとあらゆるものが問題となり、悩みとして人間を苦しめてゆくようなところもあるのですが、一人一人の人間の立場としては、「この問題は、ある程度しっかり悩んで考えるべきことだが、この問題は、もう解決済みなので、できるだけ楽しく幸福に過ごすことにしよう」とか、「この問題は、至急、解決や改善のためにあらゆる手を打つべきだが、この問題は、今は考えても仕方ないことだから、もっと未来の段階で考えることにしよう」などというように、自分の周りの問題を一つ一つしっかり分別して、メリハリをつけた考え方や行動をとってゆくことが、とても大切なのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)
2017年1月14日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 現在のアセンションの状況