②豊かな時代になればなるほど、昔の時代の庶民の生活の歴史を知ることが、とても重要である
二つめは、歴史的な話になるのですが、ここで言う「歴史」の話は、「自分の国が、どれほど偉大な歴史を持つ国なのか」というような愛国主義的な話ではなくて、「昔の人々は、いったい、どのような暮らしをしていたのか」とか、「多くの人々が、どれだけたくさんの努力や工夫をした結果、現在のような豊かな生活を送れるようになったのか」というような、どちらかと言うと昔の庶民の暮らしについての、わりと素朴な体験的な歴史の話になります。
前にも述べましたが、そもそも愛国主義的な歴史教育は、まだ多くの人々の間に、数百万人、数千万人、数億人というような大人数の規模で多くの人々が一つの共同体として、共同生活、共同統治してゆくような「国」や「社会」、あるいは、複数の国の連合としての「連邦」というような概念が薄く、あっちでもこっちでも勝手なことを言ったり、勝手なことをやったりして、全く一つの国や地域としてのまとまりがつかない段階でよく行われるものなのです。
それゆえ、その国や連邦の社会として、すでにそうした段階を終えて、多くの人々の集団としての共同生活、共同統治というものにすっかり慣れて、そこそこ豊かな社会になってきた段階では、子供時代において、もう少し具体的な庶民の暮らしの歴史を知るようにしておかないと、例えば、パッとライターやストーブで火がつけられたり、電気で明るく照明を灯せることが、どれほどありがたいことなのかとか、現在の衣食住の生活が、昔と比べると、どれほど便利でありがたいことなのか、ということがわかるようになっていないと、その後の人生において、異常な自由性や原始帰りを何でもよしとしたり、現在の文明そのものを破壊し、全否定しようとするような異常な思想にかぶれる人々が、次から次へと出てくる可能性があるので、非常に危険なところがあるように思われます。
Cecye(セスィエ)
2015年6月17日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 教育 / 歴史 / 社会、文化 / 科学、テクノロジー