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霊について Part 25

 第四には、これもあまり知られていないのですが、霊界では、例えば、仏教では、○○仏や○○菩薩と呼ばれているけれども、キリスト教では、○○神や○○天使と呼ばれていて、それから、近代のスピリチュアリズムでは、○○と呼ばれている、などというように、いろいろな宗教や霊的思想によって、かなり違った名前や個性や姿形で信仰されているケースがあるのですが、こうしたケースの場合、その宗教が、わりとしっかりした霊的なコンディションの場合には、○○仏として、活動しているけれども、その後、何らかの事情で、地上の世界の宗教事情がかなり悪化して、その霊の所に全く何の祈りも瞑想も届かなくなったり、あるいは、その霊から何らかの霊的な指導をしようとしても、地上の世界から全く何の反応も返ってこなくなったような場合には、ある程度の状況までは、そうした宗教の守護や指導をしようとするけれども、もうどう考えてみても、どうにもならないと判断された段階で、そうした宗教への霊的な守護や指導はとりやめて、まだ、わりと正しい霊的な指導が行えるような宗教への霊的な指導しか行わなくなるようなケースが、これまでの時代には、非常に多かった、ということです(歴史的には、こうした形で宗教や国家の盛衰が、ころころ入れ替わってゆくことが、とても多かったです)。

 つまり、こうしたケースの場合、あまりにも古い形式しか残っていないような宗教の神仏の霊を呼んでも、霊的には、単にそうした宗教の神仏の絵や像のようなものが話したり、動いたりしているように見えるだけで、霊的には、ほぼもう何もいないような状況になっていることがあった、ということです。

 五つめは、これは、あまり聞かないかもしれないのですが、実は、地上の世界の生命と同じように、「霊」と呼ばれる存在にも、ある種の寿命のようなものがあって、その霊が、本当に多くの人々や生き物達から必要とされている時には、あたかも昔からいたかのように存在しているが、その霊が多くの人々や生き物達から、あまり必要とされなくなってくると、まるで昔からいなかったかのようにいなくなってしまうことが、これまでの霊界の歴史では、かなり数多く繰り返されてきたようなところがあったのです。

 このように、いっけん、まるで永遠の生命があるかのように見える霊界のような所であっても、本当は、霊というのは、確かにいる時には、まるでずっといたかのように見えるが、そうした霊がいなくなってしまうと、あたかも、まるでずっといなかったかのようにいなくなってしまうような不思議なところがあった、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2014年9月22日 9:02 PM, スピリチュアリズム、霊界



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