それから、第三には、これは、一生懸命、まじめに働き続けて、国や社会を発展させた一世代前の人々には、多少、理解しづらい話になるかもしれないのですが、その国や社会の精神的な文化のかなり中心のところに、単なる「真面目イズム」ではなく、「できるだけ何事も楽しんでやる」、とか、「やるべきことをやったら、自分が楽しめることは、十分に楽しむ」、というような、良い意味での「遊びイズム」のようなものを、十二分に肯定するような要素を、しっかり持つようにしておかないと、私は、そうした国や社会は、ある程度の発展の後、かなり長期的な停滞状態や後退局面に入ると思われるので、注意が必要なのではないか、というように考えております。
それというのは、単純な理由で、「真面目イズム」というのは、何らかの明確な目標や、学業や仕事などで、どうしても、やらないといけないようなことがある場合には、かなり強力な効果を発揮することになるのですが、ところが、そうした明確な目標や行動内容がない状態では、真面目イズムというのは、ややもすると、何かを破壊したり、不必要な争いや不幸を生み出すような、混乱や闘争の原理になってしまうようなところがあるからなのです。
つまり、確かに、何か物事に取り組む際には、ある程度は、真面目にやらないといけない、また、場合によっては、絶対に、真面目にやってもらわないと困るようなことも、多々あるわけなのですが、ただ、そうした真面目さと同時に、「嬉しい」、「楽しい」、「幸せ」、といった、自分自身の素直な幸福感や、他の人々や生き物達の幸福を、素直に願えるような気持ちも、大切にしなくてはならないようなところがあるのです。
ここまで、「至福や快楽のイデア」や、「新たな挑戦やスリルのイデア」や、「遊びイズムのイデア」について、述べてきたのですが、要するに、これまでの光と闇の時代のように、自分自身の本心からの正直な欲求や、他の人々や生き物達の心の奥からの欲求というものを、いろいろな理由から、すぐに無視して、ずっと抑圧し続けていると、結局、そこにつけ込んで、どこの誰とも分からないような、悪意のある第三者のような人物や存在によって、多くの人々の潜在的な恐怖心や怒りや不平不満などによって生じた、この世界の裏世界のようなイデアの世界を使って、とんでもないマインド・コントロールをされることがあるので、それくらいなら、今後の人類の社会では、多くの人々の潜在願望のようなものは、できるだけ問題や被害が少ないような形で、なるべくストレートに実現できるようにしていった方がよいのではないか、ということなのです。
このように、今後の人類の未来社会では、多くの人々が、ある程度、自発的に、自分自身にとって、最も幸福や快楽を体験してゆけるような、「至福や快楽のイデア」と、常に良い意味で、自分自身に、何らかの緊張感や達成感や連帯感をもたらすような、「新たな挑戦やスリルのイデア」と、それから、単に真面目に過ごすだけでなく、できるだけ、何事も楽しんで、過ごしてゆくような、「遊びイズムのイデア」を、うまくバランスをとりながら、自分自身の生活や社会全体に取り入れてゆくようにできれば、多くの人々が、最も幸福感を感じながら、また同時に、適度な緊張感や達成感や連帯感も感じられるような、高度幸福社会が実現してゆけるのではないか、というように、私は考えております。
イデアの話は、これで、おしまいです。
追伸
霊界の話の延長で、「イデアの世界の秘密」について、書き始めたら、かなり長い話になってしまったのですが、これが、地上の世界でもない、また、霊界でもない、その裏世界に当たる、人類の心の奥の「無意識の領域」、あるいは、「集合意識」と言われているものの問題の本質だったのではないか、と思われます。
それと、多少、似ているものに、「空」(仏教の「空」とは、若干、異なりますが)と呼ばれる、やはり、地上の世界でも、霊界でも、かなり認識しづらい、空っぽの空間が、私達の周りに広がっているのですが、これについては、また、そのうち、機会があれば、説明してみたいと思います。
Cecye(セスィエ)
2013年6月24日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 時間と空間の秘密 / 社会、文化