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知恵の基礎は、自分が、すでに知っていることと、まだ、よく知らないこととの違いをある程度、客観的に理解できるようになることから始まる Part 1

 今回から知恵の本質について、少しだけ考えてみたいと思います。

 まず最初に、これは当然のことになるのですが、たいてい多くの人々の仕事や生活の様子を見ていると、自分が知っていることと、知らないことの違いをよく理解できていない、というか、よく分かっていないことが多いのではないか、ということです。

 これは、いったい何のことなのか、というと、例えば、何らかの行動をしようとすると、ある人にとっては、ものすごく簡単なことが、別のある人には、本当にとてつもなく難しいことのように感じられることがあったりするものなのですが、それは、いったいなぜなのかというと、私が考えるには、おそらく次のような三つのことが、あまり理解できていないからなのではないか、ということなのです。

 

①人間というのは、自分が、よく知らないことや出来ないことに関しては、本当は、知っていることと知らないことの違いや、出来ることと出来ないことの違いすら、よく理解できないようなところがあるのに、なぜか、それをあたかも知っているかのように錯覚してしまうような不思議な性質がある

 それは、いったい何なのか、というと、まず第一には、人間には、不思議な性質があって、なぜか多くの人々は、すでに自分が知っていることや、自分が出来ることに関しては、たいてい、そうした、すでに自分が知っていることと知らないこととの違いや、あるいは、自分が出来ることと出来ないこととの違いというものを、わりと簡単に理解できるのですが、そうではなく、その時点では、自分としては、まだ、あまりよく知らないことや出来ないことに関しては、いったい自分は何を知っていて、何を知らないのか、それから、いったい自分は何が出来て、何が出来ないのか、ということすら、よく分からないのに、なぜか、そうした自分が知らないことや出来ないということ自体を、客観的によく理解できていないことが多いということなのです。

 これは、いわゆる「汝、知らざるを知れ」というようなソクラテスの考え方にも非常に通じるところがあるのですが、要するに自分が、まだ知らないことや出来ないことに関しては、単純に、というか、謙虚に、自分は、まだそれを知らないし、出来ない、ということを、もう少し客観的に分かるようになる必要があるのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年9月27日 9:01 PM, おすすめ記事 / 知恵、正しさ



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