第五には、これはとても残念な話なのですが、みなさんもよくご存知のように人類の歴史というのは、そう簡単に一気に最高のレベルに到達するなんてことはめったになくて、そうではなく、例えば、誰か発明家が出て何らかの発明品を世に送り出すと、その後、さまざまな改良を積み重ねて、少しずつさらに良い製品に進化してゆくとか、多くの人々が、その時点では最良の制度や方法であると思っていたのに、突然、思いもしないような大失敗や大事故のようなものが起きて大変な被害が出たので、それ以降、そうした失敗や被害が起きないように、そうした制度や方法自体に何らかの改良や大改革を加えてゆくなどというように実際、少しずつ進歩してゆくようなところがあるので、そうした人類の文明における試行錯誤に関しては、人類にとって致命的なミスや間違いになるようなものを除いて、ある程度そのままよしとせざるを得なかったようなところがあったということです。
第六には、これはあまり知らない方が多いのではないかと思われるのですが、実は文明の進歩というのは、そうした文明を築いているというか、そうした文明のフレームを裏で支えている宗教的な価値観や道徳律や社会の常識そのものを少しずつ変化させ続けてゆくものなので、そうした文明の進歩というのは、その途中において、必ずどこかでそうした文明に属している多くの人々の宗教的な価値観や道徳律や社会の常識というものに対して、否応(いやおう)なく変化を迫ってゆくものなのですが、ただ残念ながら、そうした変化についてゆける人々と、そう簡単にはそうした変化についてゆけないような人々がいるので、そうした人々の間で、ちょっとした意見の食い違いや摩擦や、また場合によっては、かなり大規模な争いや衝突が起きることがあるのです。
そうした際には、たいてい、どの社会にも最善の解決案を提示したり、あまり社会が混乱しないような、うまい打開策を実行するような人物が多少はいるものなのですが、ただ問題なのは、人類の社会の変化の中で、王制から民主制への変化ほど、多くの人々に大きな価値観の変化を迫るものは少なかったので、それゆえ、たいてい、そうした王制から民主制への変化の過程では、どの国でも最低でも数十年ぐらいはかけて、少しずつあまり大きな混乱がないようにするか、もしくは、わりと短期間のうちに国民自身による革命や外国からの開放戦争によって、政治的な大変化を起きることが多かったようなのです。
いずれにしても、そうした期間の間は結構、国の中が荒れることが多いのですが、現在までの地球では、どの国も、それが、ちょうど20世紀の中頃以降になっていたことが非常に多かったのです。
ですから高次元宇宙からの立場としては、そうした国や地域の混乱は少なければ少ないほど良いのだが、地球の場合は、どの国も結構、大混乱しながら変化してゆくことが多かったので、いろいろ心配の目で見られることが多かったということです。
Cecye(セスィエ)