国中、高卒、大卒の人が、溢れ返っているような現代の時代には、ろくな実務試験もない教員免状なんて、もうほとんど意味がないので、そうではなく、高校卒業、もしくは、大学卒業程度の学力があるなら、自分の子供の学習の相談に乗るくらいのことは、気軽に楽しんで、取り組めばよい
それと、これは、多分、多くの人々が、深く思い込んでいる完全な錯覚なのではないか、と私は思うのですが、一昔前の時代と違って、高卒や大卒の学歴の人々が溢れ返っているような現代の時代においては、別に大学の教員課程を出て、教職員の免許を取ったとしても、それは、「国家試験の資格を持っている」、というような意味では、意味があるとしても、実際の学校の実務においては、医師の資格で言うと、ほとんど、ろくな実務の経験もなければ、また、そうした実務が出来る客観的な証明が出来たわけでもないような、はっきり言うと、ほとんど単なるペーパー上の資格に過ぎないわけなのです。
そうすると、本当は、そうした教員資格の内容としては、最低でも、数年の実務経験と、それなりの実績をもって、初めて、そうした教員試験の合格とする、というような医師の免状と同程度の資格審査が必要になってくる、ということなのですが、それよりも、本当は、こうした教員の資格審査としては、現在の塾や予備校では、もう数十年も前から、「大学に入学していれば、それで、OK!」、とか、「大学卒業していれば、OKで、あとは、その人のやる気と適性と能力だけ」、というような教師の資格で、十分とされていて、実際、それで十分な実績を上げているので、もう現代のような時代においては、はっきり言って、そうした教員資格自体が、ほとんど不必要なのではないか、というような素朴な感想を、私は持っております。
それというのは、確かに、一昔前のように、大卒の人が、ほとんどいなかったような時代においては、現在のような教員試験というのも、そこそこ有効に機能したのかもしれないのですが、現代のように、高卒、大卒の人が、国中溢れ帰っているような時代においては、かえって、学校教育の現場から、やる気や能力のある人を、片っ端から排除してしまうような弊害ばかりの制度になっているとしか、全く言いようがないので、それゆえ、現代のような時代の教育制度としては、今のような教職員の試験なんて全廃して、それぞれの学校サイドで、そこの責任で、自由に好きな人を採用してよいが、もし、その人が、やる気や適性や能力などの面において、ダメだった場合には、普通の職業と同じように、わりと簡単にやめてもらって、別の職業への再就職を勧める、というような、もっと現場サイドの柔軟なシステムに変更した方が、よっぽど良い教育が実現できるのではないか、というように、私は、率直に考えております。
ですから、こうした観点から考えてみると、もう単純に、小学校卒業した人であれば、小学校の学習内容ぐらい、ある程度、簡単に教えられるはずだし、また、中学校卒業した人であれば、中学校の学習内容ぐらい、ある程度、簡単に教えられるはずである、というように、単純に割り切って、そうしたホームスクーリングの場合には、親は、子供が、学習につまずいた際には、せいぜい、相談に乗って上げる程度の気軽な態度でもって、子供と一緒に学ぶつもりで、勉強を見てあげればよいのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年5月14日 8:24 PM, 教育