それというのは、選挙の際に野党的な立場の候補者や政党に投票する人が多いと、その後、次のような政治状況になることが多いからです。
まず一つめは、そうした選挙の結果、与党が過半数割れして、非常に不安定な政権運営になった場合には、それ以降、そうした現在の政治状況を変えようとして、政府や議会ではずっと、ああだこうだというような政治論争が続くことになるので、非常に重要な政治的な決定が常に先延ばしになって、はっきり言うと、なかなか何も決まらない、何もできない政治状況がずっと続くことが多くなってゆきます。
もう一つめは、そうした選挙の後に、野党が政権をとったケースについて、考えてみたいと思うのですが、そうした政治状況の場合、それまでの政治のあり方をことごとく否定して、全く違う政治的な決定や行動を次々と断行してゆこうとすることが多くなってゆくのではないか、と思われます(ただし、その時々の政治状況によっては、そうした政治運営が必要なケースもあるとは思いますが・・・)。
ところが、そうした政治的な状況になったとしても、しばらくすると以前に与党だった政府や議会とほぼ同じような制限や問題にぶつかって、だんだん、いろいろなものが空回りしだしてゆくことが多いようなのです。
つまり多くの人々が期待したような野党的な公約は、現実に政府を運営するようになると、途端に様々な政治的な制約や、多くの人々のかなり切実な利害関係によって、だんだん行き詰まるようになってゆき、結局、以前に与党的な立場だった政治家や政党の時代の政府や議会の状況とあまり変わらなくなっていってしまうことが多いようなのです。
※つまり元は、どんな政治家や政党であったとしても、与党として、ちゃんと責任をもって、きっちり政治運営をしてゆこうとすると、結局、やってよいことと、やってはいけないことや、すぐにできることと、時間をかけないと、なかなかできないことなどは、ほぼ同じような立場に立たされることが多いので、どうしても一定期間経つと、だんだん似通った政治的な印象になってゆきがちなところがあるようなのです。
※ですので、現在の政府や議会を運営している与党が、あまりにもどうしようもないので政権交代した方がよいと判断されるのであれば、全く別なのですが、そうではなく現在の政府や議会を運営している与党が、その時々の政治状況として、最高とは言えなくとも、常に最善の政府や議会の運営をしっかりやり続けていると判断される場合には、国民の立場としては、あまり気分や感情で、パッと野党の候補者や政党に投票するのではなく、できるだけ知的かつ冷静な立場で、与党の候補者や政党に投票した方がよいのではないか、と私は思います。しかし、それと同時にもし強い不満や要望がある場合には、それもしっかり伝えて、その後の政治運営にしっかり反映してもらうようにすることが非常に大事なのではないか、というように思われます。その方が国民の立場としては、選挙の後に、あまり不安定な政治環境の下に置かれることなく、よりしっかりと安定した、より良い政治環境の下で生活することができるので、よりメリットが高いのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)