十一個めは、これもあまり考えたことがないかもしれないのですが、現在の社会は、だんだん供給過剰の社会になってきているので、少しずつですが、要は、何らかの需要を供給してくれるだけで、ありがたいとか、素晴らしいというような少し不思議な価値観の大変化が、現在、水面下でだんだん起きてゆきつつあるようです。
つまり特に先進国では、だんだん社会の効率化や機械化で、どこに行っても、あれもこれも、たくさん溢れ返っているような状況になってゆきつつあるので、そうした状況では、一昔前の人々には、本当にキチガイ呼ばわりされるような話になると思うのですが、逆に何か足りないとか、やってほしいとか、物足りないとか、助けてほしいというような人がいることが、ありがたいとか、楽しいとか、やりがいがあるとか、幸せだというような時代に、少しずつですが、大きく変化してゆきつつあるようなのです。
ですから、これは、とても不思議な話になるのですが、もし、どの仕事も自分には、あまり合わないというような場合には、逆に何らかの形でお金を使ってあげるとか、人に手伝ってもらうとか、助けてもらうとか、愛してもらうというようなことも、ある意味、だんだん一つの仕事として、認めてゆかれるような非常に不思議な社会になってゆく可能性も、少なからずあるということです。
十二個めは、これも不思議な話ですが、現在、一昔前には、全くあり得なかったような分野の内容が、だんだんお金の儲かる、しかも場合によっては、ものすごくお金の儲かる仕事に変わってゆきつつあるのですが、それは何なのか、というと、要するに「テキパキ仕事ができるわけではないのだが、あの人がいると、みんなが和気あいあいと、なごやかになっていい」とか、「あのアイドルを見ていると、なんだか癒される」とか、「その人と話していると、それだけで幸せを感じる」とか、「一緒に食事をするだけで、とても幸せである」などというように、要するに何らかの生産を行うような仕事ではなく、何となく一緒にいて、見ているだけで楽しいとか、癒されるとか、気分が楽になるとか、許されている気分になるなどというような、言ってみれば、一種の愛や癒しの存在でいるだけで、お金がもらえるような仕事も、だんだん増えてきているようです(個人的には、それなりの厳しさや大変さを伴うことも多いと思うのですが・・・)。
このように精神面からではなく、現実的な能力面から見た、それぞれの人の天職を知るためのチェック内容としては、だいたい以上のような12ぐらいのことが言えるのではないか、と思われます。
※もっと具体的な内容は、様々な学校や企業や団体が提供している情報から、自分なりに調べて、少しでもやってみたり、考えてみる必要があると思われます。
Cecye(セスィエ)