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多数決の原理について Part 10

8、国会の討論が、いつも、ごちゃごちゃしていると国民の側としては、「何が問題で、何が重要なのか」ということすら、だんだん、すっかりよく分からなくなってしまいがちなので、現代のような時代であれば、そうした国会の討論の内容をそのままネットやツィッターで即時に発表してゆき、いつでも誰でも自由に閲覧できるようにしておくというような方法もあり得る

 第八には、これは、あまり聞かない方法になるのではないか、と思われるのですが、要するに多くの人々が、いつも政治が、ごちゃごちゃして訳が分からない世界のように感じる一番の原因は、何と言っても国会でたくさんの代議士が悪口も含めて、ああだこうだと言って、大騒ぎしているうちに、多くの国民の側としては、「いったい何が問題で、いったい何をどうすればいいのか」ということが、すっかり訳が分からなくなってきてしまうことが多いからなので、この際、昨今流行りのこうしたネットやツィッターのようなもので、国会での議員の発言を一言漏らさず、そのまま文章の会話形式で、いつでも誰でも自由に読めるように即座に発表してしまえばよいのではないか、というようなアイデアもあります。

 このアイデアのメリットは、どの代議士がまともなことを言っていて、その代議士が、あまり正当とは言えないような、へりくつや吹っかけ論をしているのかということが、誰でも、ちょっと調べれば、すぐに分かるようになることなのですが、その反対にマイナスのデメリットとしては、国会の討論の内容を多くの市民が、そのままストレートに分かるような状況になってしまうと、相対的に代議士の名誉、というか、権威のようなものが、自然にそれ相応のレベルまで下がってゆくことになるので、その結果、大勢の普通の市民が、「もう少し、こういう風に言った方がよいのではないか」とか、「そんな議論よりも、うちの県の利益をもっとしっかり述べてくれないと困る」などというように、わりとストレートにその地域の代表の代議士にクレームというか、意見を気軽に言うようになって、議員の時間が、大量にそうした普通の人々への対応に追われるようになる可能性があることなのではないか(デメリットではないかもしれませんが・・・)、というように私は感じております。

※ただ、こうした形式にした場合には、これは現在の政治状況でも、ほとんど同じなのですが、誰かが、ちょっとした勢いや、誤解や間違いなどから発した暴言や失言のようなものを、すぐに大問題だと言って、全マスコミで取り上げて追求し始めるような扱いにはせずに、そうした、ちょっとした暴言や失言をした人には、逆にマスコミの前に正々堂々と出てきてもらって、その発言の背景や真意をしっかり説明してもらうにすることが、とても重要です。

 そして、そうした発言が、単なるその場の勢いや間違いから発した発言であるなら、それを正直に説明してもらえば、それで十分として、それ以上の追求はしないし、また別に、特に誰かを傷つけるつもりもなかったのであれば、一応、それなりの陳謝をしてくれれば、それでよしとするけれども、ただ、それが、もしその場の勢いとか、間違いではなくて、その人の心の底からの信念としての暴言や失言であった場合には、それなりの責任をとってもらう、というようなスタンスにすれば良いのではないか、というように私は考えております(つまり政治家や役人であっても、完璧な人間であるはずはないので、普通の会社員や一市民に対して、私達がとるのと同じような扱いや行動をすれば、それで十分なのではないか、ということです)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年11月17日 9:15 PM, 政治



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