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イエスについて Part 22

2、パウロという人物の性格や、病気の治癒の経過や、彼独特の信仰の内容に関しては、よく考えてみると、霊的には、かなり大きな問題があると言える

 第二には、これは、パウロという人物の、単なる個人的な問題であるとしか、全く言いようがないのですが、聖書の内容から、単純に想像する限り、この人は、最初は、ユダヤ教を、ものすごく熱心に強く信じていたがゆえに、当時の新しい宗派だったキリスト教徒を、散々、迫害する側に立っていたにも関わらず、その後、一連のトラブルと奇蹟によって、突然、キリスト教に回心すると、今度は、イエスを、キリストとして、崇めて、彼独特の、やはり、ものすごく熱心な信仰を持つようになった、ということなのですが、ここで問題なのは、私は、客観的に見る限り、パウロという人は、ユダヤ教を信じたとしても、キリスト教を信じたとしても、結局、この人特有の、ものすごく偏狭な信仰的な態度だけは、何一つ変わらなかったのではないか、というように感じてしまうのです。

 つまり、このパウロという人は、ユダヤ教を信じようが、キリスト教を信じようが、おそらく、他の、いかなる宗教を信じようが、彼独特の、かなり偏狭な信仰的態度だけは、ほとんど、いつも一緒だったのではないか、というのが、私の率直な感想なのです。

 では、そのパウロという人独特の信仰に関しては、いったい、どんなことが言えるのか、というと、大まかに要点だけを説明すると、大体、以下のような四つの内容になります。

 

①キリスト教では、代表的聖人とされているが、単純に考えて、生前の「パウロ」という人物の性格は、現実には、かなり意固地で、偏狭な性格だったのではないのか

 まず第一には、これは、もし、このパウロという人物が、みなさんの目の前にいたと想像してみると、わりと分かりやすいのではないか、と思われるのですが、とにもかくにも言えることは、この人は、他の人の話を冷静に聞いて、話し合うような姿勢は、ほとんど持っていないにも関わらず、いったん、何らかの、ものすごい奇蹟が起きたり、何らかの素晴らしい話を聞いて、何かの信仰を受け入れてしまうと、まるで、それが、この宇宙の絶対の真理のように強く信じ込むと共に、それ以降は、そうした信条を、もうそう簡単には、絶対に変えようとしないような、かなり強情で、意固地で、偏屈な性格の人物だったのではないか、ということです。

 

②当時のパウロの性格や精神状態から推測する限り、当時のイエスの弟子では、信仰による治療も無理、また、精神的な治療も無理であったと考えられるので、霊的に見る限り、「パウロの失明が、イエスの奇蹟によって、癒された」、という話自体が、かなり疑わしいと言える

 第二には、これは、冷静に考えると、とても不思議なことであるのですが、伝承によれば、彼は、キリスト教徒を迫害している最中に、いったん、失明したにも関わらず、その後、イエスの奇蹟によって、それが完治したために、イエスの信者となったことになっているのですが、私は、客観的に見る限り、この話は、かなり嘘臭い、というか、ちょっと、現実には、あり得ないのではないか、というような率直な感想を持っております。

 その理由は、極めて、単純なのですが、実は、霊的に見た場合、彼のような精神性の人の病を直すのは、かなり達人のような霊的なマスターのような人であっても、実際、かなり難しかったのではないか、というように思われるからです。

 それというのは、彼自身が、いくら突然の肉体の不調で、精神的にまいっているとしても、基本的に、先ほども述べたように、パウロという人物は、かなり強情で偏屈な性格であるために、キリスト教的な信仰に伴う、奇蹟による治療は、はっきり言うと、かなりやりづらかった、というか、効きづらかったのではないか、ということなのです。

 これは、少し分かりづらいかもしれないので、もう少し細かく説明しますが、要するに、いくら、当時のイエスの、かなり優秀な弟子が、治療に当たったとしても、彼自身の中に、非常に、かたくなで、他の人のことを、そう簡単には、受け入れないような、頑強な性格がある上に、その上、これは、当時の彼の精神状態を考えてみると、非常によく分かるのですが、この人は、心の中に、岩盤みたいな心の葛藤、というか、精神的な混乱を抱えた人であったと思われるので、これは、おそらく、「クリスチャン・サイエンス」のような信仰による病の治療を行った人なら、それなりに容易に分かるような話になるかもしれないのですが、はっきり言うと、神への信仰による治療も無理、それから、精神性を、良い方に変えることによる治療も無理であった(これは、たいてい、少し時間がかかります)、と、霊的には、判断されるので、私は、霊的に見る限り、このパウロという人の失明の治療は、当時のイエスの弟子には、おそらく、ほぼ完全に不可能だったのではないか、というように思われるのです。

 ですから、もし、当時のイエスの弟子によるパウロの失明の治療が無理なら、ひょっとしたら、それ以前に、パウロの失明の話や、彼の回心の話自体も、嘘だった可能性がある、ということになります。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年1月15日 9:08 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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