人類のここ数千年の歴史を見る限り、ワンネス的な発想は、全人類的、あるいは、全地球的な規模で一つに統合された世界を築いてゆく上で、確かに役立った面もないとは言えないが、現在、この宇宙では、時間的世界の終わりを前にして、本当に心の底から愛や調和を志向する人々や生き物達と、本当は、略奪や破壊を志向する人々や生き物達とを根本的に分離する「アセンション」の最終段階に入りつつある
それでは、現在のこの「中世界」とも呼ばれるような、この宇宙の真理としては、こうしたワンネスの思想というのは、いったい、どのように扱ってゆけばよいのか、というと、これは、大変、難しい問題になってくるのですが、大体、要約すると、以下のような二つの結論に集約されるのではないか、ということなのです。
まず第一には、この宇宙の創造主は、低次元宇宙において、いったん、ほぼ完全にバラバラに分裂してしまっていた数多くの人々や生き物達を現在の「アセンション」と呼ばれる時期までに、何とか、いったん、ほぼ完全にまとめあげることができるようなところまで持っていくことはできたので、その点では、ワンネス的な発想も、確かにこれまでの時代には、ある程度、役に立ったようなところがある、ということです。
第二には、ところが、現在、そうした経緯で、アセンションの最終段階に至って、いったい、何が起きているのか、というと、これは、実に残念なお知らせなのですが、この宇宙の歴史の過程、並びに、創造主の生命力の状況から見る限り、もうすでにワンネス的な宇宙の統合は、完全に不可能な状況になってきているので、地球の時間で言うところの、ここ数千年前ぐらいの段階から、この宇宙の創造主の立場としては、彼の提示した理想や教えを受け入れて、彼についてきてくれる人々や生き物達には、ワンネス的な世界、いわゆる、「高次元宇宙」とも呼ばれるような高度幸福世界での理想の生活をできるだけ保障できるようにしてゆきたいが、その反対に、いくら努力しても彼の提示した理想や教えを受け入れて、彼についてくるのを拒む人々や生き物達には、残念ながら、反ワンネス的な世界、いわゆる、「低次元宇宙」とも呼ばれるような、あまり高い幸福は実現できないけれども、ただ、自分達の仲間内の中だけで闘争や欲望の無限の追求ができるような世界の中で、ずっと生活していてもらいたい、というような方向性にすっかり切り変わるようになってきてしまっていた、ということなのです。
これが、キリスト教やイスラム教で言うところの「最後の審判」による天国と地獄の世界への分離ということであるのですが、こうした状況から見る限り、確かにワンネス的な発想は、他の人々や他の生き物達をより深く愛し、慈しんでゆくような良い面もないとは言えないけれども、ただ、だからと言って、「良いものも悪いものも、何でも一緒」、とか、「何でも、みんな同じなのだ」、とか、「良いことをしても悪いことをしても、結局、みんな同じ世界に行くのだ」、というような物の見方をするなら、それは、霊的に見ても、この世的に見ても、大きな間違いなのではないか、ということなのです。
このように現在、こうしたアセンション系やスピリチュアル系でよく頻繁に取り上げられることが多い「ワンネス」的な考え方について、さまざまな観点から述べてきたのですが、要するに最終的な結論としては、「すべては、一つ」、というようなワンネス的な思想というのは、確かに本当に心の底から愛や調和を志向する人々にとっては、とても良いことなのではないか、というように私も率直に理解するのですが、その反面、こうしたワンネス思想というものを誤って、理解すると、とんでもない大間違いや大失敗や大混乱に巻き込まれてしまうこともあるので、それゆえ、こうした「ワンネス思想」に関しては、素晴らしい理想として、尊ばなくてはならない部分と、常に冷静に現実の世界の様子を見ながら、良いものと悪いものとをきっちり分別してゆかなくてはならない部分がある、ということをしっかり頭に叩き込んでおく必要があるのではないか、というように私は、切実に考えております。
Cecye(セスィエ)
2011年10月9日 9:14 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宇宙文明、古代文明