前回に引き続き、祈りや瞑想における注意点について述べたいと思います。
霊的な安全対策としては、単に一つだけの宗教や精神修養の祈りや瞑想しか知らないというような状況よりは、二つ、三つと、できるだけ多くの宗教や精神修養の祈りや瞑想に通じていた方が、より良い結果を得やすい
これも、よくよく冷静に考え直してみると、本当にかなり問題が多い内容の一つであるのですが、一昔前の時代と違って、現代のような世界規模の交通や通信のネットワークが発達している時代には、たとえ、どんなに素晴らしい宗教であったとしても、単にその一つの宗教だけの祈りや瞑想だけを行っていれば、それで絶対にベストというようなことはなく、できれば、一つよりは二つ、二つよりは三つ、四つ、五つと、幾つもの祈りや瞑想の手法にたくさん通じているような人の方が、霊的には、より素晴らしい成果を得やすいのではないかということです。
つまり、これは昔から霊的な喩えとして、よく言われるような話であるのですが、「同じ山の頂上を目指すにしても、その登り方には、幾つもの道がある」というような喩えの示す通り、一昔前のように交通や通信が非常に不便で、たいていの人が、その人の一生で、せいぜい二つか、三つぐらいの宗教の選択肢しかなかったような時代とは違って、現代というのは、どんな人であっても、単に一つの祈りや瞑想の手法だけでなく、「あの宗教の手法や、このヨガの手法」などといった具合に、その気にさえなれば、三つでも四つでも、五つでも十個でも、いろいろな宗教や精神修養における祈りや瞑想の手法を調べたり、また、実際に自分自身の身で体験できるような時代になっているにも関わらず、なぜか多くの人々は相変わらず、そうした宗教や精神修養のようなことに関しては、「そう簡単に、ころころ変えないものだ」とか、「一生、同じものであるのが当たり前だ」というような信念や思い込みから、なかなか離れられないようなところがあるのです。
ですから、これは言ってみれば、最近流行の資産運用における安全対策とほとんど同じような考え方であるのですが、「今自分が行っている宗教や精神修養のようなものが、もし今ひとつであると感じた場合には、速やかに、もっとより安全で良さそうな別の宗教や精神修養に切り替える」とか、「単に一つだけの祈りや瞑想だけしか知らないと、いつの間にか、誰かに騙されたり、損させられたりする可能性があるので、あえて一つだけでなく、二つとか、三つの宗教や精神修養を同時並行的に学んだり、マスターしたりする」などというように、言ってみれば、霊的、あるいは、宗教的な安全対策を取るとか、あるいは、霊的に見て、最大効果を目指すための幅広い選択肢を確保するような工夫が必要なのではないか、ということなのです。
このように私は、こうした祈りや瞑想の手法に関しても、本当は、よく調べたわけでもないのに、「とにかく、この一つの方法だけで十分だ」とか、「絶対に、この祈りや瞑想が最高のもののはずだ」などと、単純に信じ込んだり、思い込んだりするような人間の態度というのは、現代のような時代には、もう完全に時代遅れであるので、そうではなく、現代のようなワールドワイドの時代には、できれば、どんなに優れた宗教や精神修養の手法であったとしても、二つとか、三つとか、できるだけ多くのいろいろな祈りや瞑想の手法を学んだり、出来たりしているくらいでないと、霊的には、かなり危険、というよりも、かなり損するような状況になりやすいのではないか、というように率直に感じております。
Cecye(セスィエ)
2011年3月22日 9:12 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 瞑想