Light Symbol

イエスについて Part 33

 それと、ここで、もう一つ問題になってくるのは、現在、伝えられている彼の教えであると、彼の説く神のキャラクターが、男性一本になっているのですが、霊的に見た場合、はっきり言うと、これほど、いびつで、危険な宗教形態はないのではないか、というくらい、こうした男性のキャラクター一本の宗教というのは、結構、危険なところがあるのです(細かな説明は、また、後日にしたいと思います)。

 ですから、私は、ここで、霊的な真実として、はっきり伝えておきたいことがあるのですが、真実の「神」、もしくは、真実の「光の創造主」と呼ばれる存在というのは、男性的ではあるけれども、それと同時に女性的であり、また、男性的な側面を持っているけれども、それと同時に、女性的な側面を持っている、というような、男性性と女性性を、同時に兼ね備えた存在である、ということです。

 それゆえ、キリスト教の歴史では、結局、後で大修正が加えられて、イエスの男性性だけでは、宗教として、うまくやっていけないので、仕方がないので、イエスの母の「マリア」も、ものすごい聖人だったことにして、「神の女性的な側面を大々的に打ち出そう」、とか、「キリスト教の中に、女神的な存在も付け加えよう」、とするようになっていったのです。

 ところが、ここにも、非常に大きな問題があって、霊的に見た場合、「イエスは、独身の男性だけど、愛の存在で、イエスの父(天なる父のこと)は、偉い人だけど、何となく、どこか、冷たいところがある」、とか、「イエスの妻はいないけど、イエスの母は、ものすごく信仰深くて、優しい」なんて、宗教イメージがあると、「霊的には、母子は、とても仲良く調和した関係だけど、父子は、なんとなく、距離があって、疎遠(そえん)」、とか、「霊的に最高なのは、生涯、独身であること」、とか、「愛は、大切だけど、セックスは、邪悪で危険」、とか、「愛は大切だけど、結婚やセックスに象徴される、肉体的快楽や幸福は、いけないこと」なんて、訳の分からない宗教的な刷り込みを、たくさんされることになるので、はっきり言うと、こうした、ちょっと、いびつな家族関係の宗教的な聖人というのは、霊的に見ると、かなり問題があるようなところがあるのではないか、ということなのです。

 それゆえ、はっきり言うと、今日、伝わっているキリスト教というのは、歴史の途中経過のどこかの時点で、誰かが、かなりの悪意をもって、いろいろ教えや事実を、かなり大きく、ねじ曲げた上で、大々的に国家宗教のような形で祭り上げたものだったのではないか、というのが、私の素朴な感想になるのですが、それは、ともかくとして、要は、霊的に見た本当の真実としては、「イエスと、イエスのお母さんが、最高の聖人」なんて宗教は、かなり問題で、それよりかは、「イエスと、イエスの半身、というか、彼にとっての最高の女性のような存在が、いつも仲良く、一緒に寄り添って、愛し合っている(インド風の神様のイメージでしょうか)」、とか、「イエスの男性性と女性性を表す存在が、完全なる調和や融合のもとに、一緒に存在している」、とか、「神と女神が、仲良く寄り添って、調和した関係を築いている」、というような宗教的な象徴にしないと、霊的には、本当は、かなり問題が多い、ということなのです。

 

 続く・・・

 

 

 追伸

 私自身の生い立ちでは、仕事一辺倒で、放任主義の父親と、一貫性のない、訳の分からない説教をしては、パシパシと体罰をふるう母親の下で、毎日、兄弟喧嘩や競争を奨励されるような感じで育てられた経緯があるので(私達夫婦の子供の育て方は、自分達とは、全然、違うとよく言われましたが、最近では、性格や考え方が、あまりに違うので、そうした親族、兄弟姉妹とは、すっかり疎遠になってしまいました)、私の個人的な感想としては、正直言って、ああした、清らかで、美しく、優しそうな「聖母マリア」のイメージには、かなり惹かれるものがあるのですが、ただ、よく考えてみると、イエスの母が、そんなに素晴らしい人であるなら、当然、その夫である「ヨセフ」という人物も、やはり、マリアと完全に釣り合うくらいに、清らかで、知恵深く、優しい人物であったと考えられるので、「マリア様は、最高だけど、その夫は、大したことない」、とか、「イエス様は、最高だけど、彼に妻はいない」、とか、「彼の妻だったかもしれない女性は、悪霊憑きの性悪女」、というようなイメージというのは、多分、後世、でっち上げられた、単なる作り話だったのではないか、と私は考えております。

 それよりかは、霊的な理想としては、「立派で、賢く、優しい、お父さんとお母さん(場合によっては、その子供も含めて)が、仲良く並んで、微笑んでいる(つまり、男女も、夫婦も、親子も、家族も、最高に仲良く調和している)」、とか、「理想的な姿形をした男女の最高に調和した状態」、とか、「男性的にも、女性的にも見えるような、両性具備的な理想の神仏」のイメージのようなものの方が、ずっと良いのではないか、というように、私は素朴に考えております。

 

Cecye(セスィエ)

2012年2月5日 9:06 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 結婚、家庭



«

»

おすすめ記事

過去の記事