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仏教的な「解脱」の悟りについて Part 7

 少しお休みしましたが、前回の続きの文章を載せてゆきたいと思います。

 

3、苦悩の輪廻からの解脱ではなく、新しい学びや体験や使命の実現のための、よりポジティブな生まれ変わりについて

 三つめは、今度は、霊的なカルマの問題ではなく、どちらかというと、それぞれの魂としての学びや興味や使命のあり方からの説明になるのですが、先ほども述べたように地上の世界が、非常に荒れた状態になっていて、さらにそうした地上の世界に近い幽界などの異次元世界も、非常に荒れた状態になってしまっていると、はっきり言って、どんなに優れた魂であっても、そうした地上の世界に何度か生まれ変わっている間の体験が、あまりにも荒れたものばかりになってしまうために、だんだん人格的にかなり荒れた状態になってゆき、気がつくと、本人の魂としての自覚も、ほとんどよくわからないまま、人間や人間以外の様々な動植物などに何度も何度も生まれ変わりが発生するような、霊的には、かなり危険な状況に陥ってしまうことが多かったようです。

 そうした古代インドの霊的にも、この世的にも非常に荒れた状況の中において、それぞれの魂が、地上の世界の人生や、霊的な世界での人生をある程度、主体的に自分自身の意志で自由に生きられるように導いたのが、先ほどから述べているような釈迦の教えであったわけです。

 ところが、その後、たくさんの学びや修行や救済などの期間を経て、地上の世界や、霊的な世界での人生を、それぞれの魂自身の意志である程度、主体的に自由に送れるようになってゆくと、今度は、かなり違った魂的な立場に立てるようになってくるのですが、それは前にも述べましたが、全宇宙的な視点で見ると、この地球は、他の外宇宙では、まずは絶対にありえないような非常に珍しい体験ができたり、また他の外宇宙では、まずは絶対に会えないような、本当にピンからキリまでの様々な個性の魂達が活動しているような惑星なので、「今度の人生では、あの先生について、いろいろな新しいことが学んでみたい」とか、「次の人生では、今まで自分が全く知らなかった、あの不思議な国に生まれ変わって、いろいろな新しい体験がしてみたい」とか、「次の人生では、自分の魂にとっては、かなり難しい課題を乗り越えるために、自分自身の意志で、あえて、少し大変な人生を送ってみよう」とか、「私は、自分自身の霊的な学びは、かなり終了してきているので、次の人生では、あの大変な人々や生き物達を助けるために、あの国に、こんな立場で生まれ変わってみたい」などというように、かなり自由な積極的な立場で、しかも自分自身の強い意志に基づいて、次の生まれ変わりを決めるようになってゆくことも、だんだん、かなり多くなってきたようなのです。

 ですので、確かに訳のわからない無数の生まれ変わりの輪廻が、果てしなく続くような苦悩に満ちた世界であれば、「こんな苦悩の世界には、もう二度と生まれ変わってきたくない」とか、「どんなに厳しくても、こんな苦悩の輪廻から、永遠に解脱するための修行がしてみたい」などと考えるような魂達が、かなり多くなりがちになったと思うのですが、そうした過程をある程度、しっかり乗り越えることができた、たくさんの魂達は、今度は、自分自身の主体的な自由な意志に基づいて、「今度は、この時代のこの国に生まれ変わってみよう」とか、「今度は、こんな人生の課題をうまく乗り越えられるように頑張ってみよう」とか、「次は、こんな素晴らしい人生を送ってみたい」とか、「次の人生では、救われる側の立場ではなく、自分も誰かを助けたり、救ったりできるような人生を送ってみたい」などというように、かなりポジティブな感じで、何度も何度も次の生まれ変わりの過程に入ってゆくことも、かなり増えていったようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年5月7日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 時間と空間の秘密

何日か、お休みします

 何日か、お休みします。

 

Cecye(セスィエ)

2021年5月1日 8:51 PM, お知らせ

仏教的な「解脱」の悟りについて Part 6

2、釈迦を超える、さらに偉大な仏の悟りや救済を説く「大乗仏教」の興隆について

 二つめは、ところが、その後の仏教の霊的な悟りを開いた人々の中には、「この世界の現実の状況を見る限り、どうやっても人間の小さな努力だけでは、マイナスのカルマなど、完全には消しきれないことに気づいたのだが、どうも自分たちの世界には、それ以上の偉大な仏の働きがあって、それによって、自分達人間は、マイナスのカルマを減らしてもらい、プラスのカルマを増やしてゆきながら、より素晴らしい理想の世界を目指していっているらしい」とか、さらには、「自分達は、その偉大な仏に帰依して、修行するというよりも、深く信仰することで、大きな救いと幸せを得てゆくべきなのではないか」などというように、新しい仏教の流れを作るようになっていったようなのです。

 それが「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」や「阿弥陀仏(あみだぶつ)」や「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」や「薬師如来(やくしにょらい)」などといった、もっと根源的、かつ非常に救済力のある仏を信仰する「大乗仏教」と呼ばれるような、新しい仏教の流れになっていったようです。

※現在残っている仏教の経典を読むと、どれも「釈迦が説かれた」などと書かれていることが多いのですが、実際には、現在の仏典の研究では、釈迦が直接説いたお経と、そうでないお経は、かなりはっきり分けることができるので、そうすると釈迦が直接説いたのではない、それ以外のたくさんのお経は、いったい、いつ誰が、どんな形で著したのか、なかなか、よくわからないことが多いようです(それぞれの経典が成立した大まかな地域や年代は、ある程度わかるようなのですが・・・)。おそらく、そうした仏教のたくさんの経典は、その後の日本の新仏教の成立とよく似た感じで、古代や中世の時代に釈迦の教えをかなり熱心に学んで、修行した人々が、非常に深い瞑想の最中や、神がかり的な霊体験の中で発見した様々な霊的な存在達や、そうした霊的な存在達の教えを、様々な形で仏教的な経典として、著したものが元になっているのではないか、と思われます。おそらく、古代や中世の時代のインドやアジアの国々では、そうした仏教的な新宗教は、幾つも幾つも現れては消えていったのでしょうが、そうした仏教的な新宗教のうち、そこそこ霊的な能力があったり、ある程度の悟りを開いた人々が、「確かにこの通りだ。私もこうした霊的な存在の活動を感じていた」などというように、たくさんの共感を集めて、ある程度の規模の信者を獲得していったものが、さらにたくさんの国々に伝わっていったり、後の時代にもしっかり残っていったりして、後の大乗仏教の流れになっていったのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年4月30日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 宗教、道徳 / 歴史 / 瞑想

仏教的な「解脱」の悟りについて Part 5

霊的に見た仏教的な悟りと、生まれ変わりの実態について

  それでは、当時の釈迦を初めとした、釈迦の教えで悟りを開いた人々は、その後、本当に、この物質世界での生まれ変わりから完全に抜け出られるようになったのか、というと、これに関しては、だいたい次のようなことが言えます。

 

1、霊的な悟りとカルマの問題について

 まず一つめは、私の文章では、この物質世界や、この物質世界周辺の幽界などの異次元世界が広がっているような四次元以下の世界ではない、霊的にもっと澄んだ五次元以上の世界は、非常に精妙で平安な喜びに満ちた素晴らしい世界であると、何度も述べてきているのですが、基本的に当時のインドにおいて、釈迦が説いた教えは、清浄な心身の状態になることで、そうした訳のわからない苦悩の連鎖が続くことも多かった、四次元以下の地上の世界や、幽界などの間での不毛な生まれ変わりの連鎖からの永遠の離脱を目指していたように思われます。

 実際、釈迦の教えによって、そうした不毛な生まれ変わりの連鎖から抜け出られた魂達は、非常に多かったようなのですが、ところが、当時の仏教の逸話にも、はっきり残っているようなのですが、残念ながら、そうした悟りを得ても、霊的なカルマの法則は厳然と働いているので、人によっては、その後も、かなり強い意志で、その人自身のマイナスのカルマを減らして、プラスのカルマを増やしてゆくような修行が、かなりたくさん必要になることもあったようです。

 ですから、そうした意味では、釈迦の教えを実践して、そこそこの悟りを得たとしても、その魂自身のマイナスのカルマを完全になくすことができなければ、どうしても再び、地上の世界での生まれ変わりは、何度も続いてゆくような状況になっていたようです。

※ただし霊的には、その魂自身で、自分の霊的な人生をある程度、主体的にしっかりコントロールしてゆけるような状況にあるか、それとも、そうしたことが全くできない状況であるかの違いは、大きな違いであると思いますが・・・。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年4月29日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ

仏教的な「解脱」の悟りについて Part 4

その後のインドの仏教の歴史について

 そうしたインドの社会の変化に合わせて、その後の仏教では、「現在のような平和で幸せな国となったのは、みんなお釈迦様のお陰なので、もっと盛大に祀って、信仰してみたい」とか、「もっと高度な悟りが得たいので、もっとものすごい修行をしてみたい」とか、「この世界には、他にも、もっと偉大な仏がおられるようなので、そうした仏の教えも学んで修行してみたい」とか、「学んだり、修行したりするよりも、偉大な仏様を直接信仰したり、何度もお経を唱えることで、この世に生きながら、偉大な仏様の世界に直接住(じゅう)するような素晴らしい体験がしてみたい」などというような感じで、時代が過ぎるにつれて、元々の釈迦の教えとはかなり違った、昔からのインドの教えや、外国の教えを取り入れた新しい仏教(大乗仏教)が、だんだん、たくさん興隆するようになっていったようです。

 そうして数百年、千年以上の歳月が過ぎてゆく間に、古代や中世のインドは、それほど大変不幸な社会ではなくなっていったのですが、それと同時に仏教のあり方自体も、元々釈迦が説いた教えとは全く違った、訳のわからないものが数多く増えてゆくようになってしまったために、インド以外の国々へ伝わった様々な仏教の教えは、ある程度、そのままの形で残ったものも多かったようなのですが、やがて中世のインドでは、昔からインドにあった伝統的な教えを元にした宗教界の立て直しが起きたり、あるいは、中東から伝わってきた、当時の時代としては、かなり最先端の教えであったイスラム教の教えに、だんだん取って変わられるような時代の流れになっていったようです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年4月28日 9:03 PM, イスラム教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 社会、文化

仏教的な「解脱」の悟りについて Part 3

古代インドの一般的な霊的な修行のあり方と、釈迦の教えについて

 それでは、古代のインドにおける一般的な霊的な修行のあり方というのは、いったい、どのようなものだったのか、というと、非常にたくさんの霊的な修行の仕方があったようなのですが、かなり大雑把にまとめてしまうと、要するに当時のインドでは、瞑想的な修行を極めて、かなり高度かつ特殊な精神状態に至れるようになるか、あるいは、かなり過酷な苦行を行って、マイナスのカルマを完全に滅することができれば、本当の悟りを得て、もう二度と苦悩に満ちた地上の世界には生まれ変わってこなくても済む、というような霊的な修行のあり方が多かったようです。

 それゆえ当時の釈迦も、彼自身の身において、そうした修行は、かなり十分に納得できるまで行った後に、釈迦独自の、当時のインドでは、かなり革命的な教えを唱えて、多くの人々を本当の解脱の道に導くようになっていったのですが、かなり手短かにまとめると、「人間が肉体を持って生きる間に、自然自然のうちにたくさん発生する心身の苦悩、迷いや執着を完全に滅しつつ、日々、マイナスのカルマを減らして、プラスのカルマを増やしてゆくようにすれば、やがて、素晴らしい本当の安らぎの境地を得られるようになり、そして今世の苦悩からも、また来世の苦悩からも脱した、完全な魂の解脱を達することができるだろう」というような教えだったのではないか、と思われます。

 これは当時のインドの社会全体を、一挙にパラダイスにしてゆくような教えではなく、当時のインドで生きている一人一人の人間が、本当の心身の平安を得てゆくような教えだったのですが、ところが、その後、そうした釈迦の教えに基づいて生きる人々が、だんだん増えてゆくにつれて、その途中経過では、多少戦乱などで荒れることはあったのですが、やがて、不思議なことに当時のインドの社会全体も、だんだん、より調和した平和で豊かで幸福な社会に変わっていったようなところがあったのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年4月26日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 歴史 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化

仏教的な「解脱」の悟りについて Part 2

古代インドにおいて、かなり真剣に求められた転輪聖王や仏陀の登場について

 単純に言って、大多数の人々が、平和に豊かに幸せに暮らしている社会であれば(霊的にも、わりとすっきりした澄んだ状態になっていることが大事だと思いますが・・・)、霊魂の存在や、人間や動植物の生まれ変わりを信じていたとしても、「過去はこんな人生だったようだが、今回の人生も、できるだけ充実した幸せな人生を送れるように頑張ろう」とか、「次の人生は、どこでどのような素晴らしい人生を送ることになるのだろうか」などというように、わりと気分的には軽く、また希望に満ちた、ワクワクした気持ちになることが多いのではないか、と思われます。

 ところが、そうではなく、大多数の人々が、戦争や飢饉や疫病や貧困などで、もうどうしようもなく肉体的にも精神的にも大変な不幸を感じるような社会の場合には(霊的に大変荒れた、混乱した状況になっている場合には、さらに大変だと思いますが・・・)、「現在のような、とんでもなくひどい世界を劇的に良くするような偉大な王が現れて、早く、本当に素晴らしい理想世界に、何とかしてもらえないものだろうか?」とか、あるいは、「こんなとんでもなくひどい社会の状況であっても、何とか少しでも苦悩を減らして、本当の幸福を得られないものだろうか?」、さらには、「できれば、こんな苦悩に満ちた世界での訳のわからない無数の生まれ変わりから、何とか永久に脱出することはできないものだろうか?」などというように、かなり深刻な重々しい感じで、非常に真剣に努力し続けるような人々が、たくさん出てくるようになってゆきがちなところがあったわけです。

 古代のインドでも、そうしたかなり深刻な社会の状況に陥るようになってしまったために、釈迦の生まれた頃のインドでは、「偉大な転輪聖王(てんりんじょうおう)が現れて、世界を一気にパラダイス的な社会に変えてくれるのではないか」とか、あるいは、「本当の解脱の道を悟って、無数の苦悩の生まれ変わりの輪廻から永遠に出られるような、本当に正しい教えを説かれる偉大な仏陀が現れてくるのではないか」などというようなことが、多くの人々の間で、かなり真剣に求められるようになっていたようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年4月24日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史

仏教的な「解脱」の悟りについて Part 1

 古代インドをはじめ、仏教の伝わった世界では、この地上の世界での無数の生まれ変わりの輪廻から逃れて、もう二度と生まれ変わらなくてもよくなるようなことを、単なる「悟り」ではなく、「解脱(げだつ)」と呼んでいたことが多かったようなのですが、これに関しては、だいたい次のようなことが言えます。

 

大昔の人々の霊魂や生まれ変わりの感覚について

 近現代に至る以前の古代や中世の時代には(当時であっても、現代人のような高度な教育を受けた人であれば、多少状況は違っていたかもしれないのですが・・・)、たいてい大多数の人々は、伝統的な宗教の教えを、わりとそのまま素直に信じていることは多かったり、また、後天的な教育が少なかったので、自分達の本能的な直感によって、身の回りにいる霊的な存在達を、時に非常に身近に親しく感じたり、また時に非常に強く恐れたりしながら、毎日の生活を送っていることが多かったようです。

 それから、たいてい大多数の人々の平均寿命は、とても短かったので、日々の生命の喜びと共に、病や老いや死も、とても身近に感じていたようなので、そうした生活の中では、霊魂の存在や、人間を含めた生き物の生まれ変わりのような概念は、わりと自然な形で、まるで当たり前のような感覚で受け入れていることが多かったようです。

 それは、いったい、どのようなものだったのかというと、例えば、「少し前に家族の一人が亡くなってしまったのだけれども、すぐに生まれてきたこの子は、なんとなく、その人の魂の生まれ変わりのような気がする」とか、「何となく、あの虫は、誰かの魂を運んでいるような気がする。そのうち誰かのお腹に入って、人間として生まれ変わってくるのだろうか?」とか、「この生き物とは、本当に心が通じるので、とてもただの家畜のように気軽には殺生できない」とか、「物心ついた頃には、すっかり忘れて、思い出せなくなってしまったけれども、子供の頃は、自分は、前世の記憶をかなり鮮明に覚えていた」とか、「何となく命日の頃になると、亡くなった人々の魂を身近に感じる」とか、「この辺りには、何かものすごい霊がおられる気がするので、いい加減なことをしていたら祟りのようなことも起きたし、みんなで神様として祀らないといけないのではないか」などというような感じで、目に見えない霊魂の存在や、人間や動植物の生まれ変わりのようなことを、かなり身近に感じていたようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年4月23日 9:03 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 歴史 / 社会、文化 / 神道 / 自然、生命

人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 18

 それから三つめは、これは昔からインドの辺りでは、時々問題になっていたような内容になるのですが、こうした「霊的な悟りを得た」と主張しているような人物の中には、かなり怪しい、もっとはっきり言うと、様々な問題のある仕掛けのようなものが裏にあって、あたかも本当にそうした悟りを得たかのように振る舞っていることも、時々あったようなのです。

 ここでは細かな内容については、割愛したいと思うのですが、要するに特に少し昔の時代までは、もう少しでも良い話があれば、「本当にすがるような気持ちで救われたい」とか、「自分の人生を、少しでも良い状況に変えてゆきたい」とか、さらには「現在の人生で無理なら、せめて来世だけでも、できるだけ幸せな世界に行きたい」などと考えるような人々が非常に多かったために、そうした社会の状況を悪用して、時々、かなりおかしな宗教的な商売をする人々がいたようなのです。

 私自身の見解としては、わりと単純で、どう考えてみても客観的な証拠や実績などから見て、本物のヨギであると判断してよいような人々と、そうではなく、要するに裏に何らかの仕掛けがあって(時々、霊的な仕掛けがあることもあるようですが・・・)、宗教商売をしているような人々との違いは、今日的な目で見ると、かなりはっきりと明確に判定できるように思われるので、霊的に大きな失敗をしたくないような人は、そうした、わりときっちりした客観的な証拠や実績がある本物のヨギのもとで、霊的な努力や修行をしてゆけばよいのではないか、というように考えております。

 このようにヒンドゥー教的なヨガの悟りの内容としては、そうした心身を鍛え、整えて、調和させてゆくことによって、絶対的な平和や、絶対的な至福やエクスタシーの体験をしたり、さらには、そうした修行の過程において、様々な不思議な超人的な能力を獲得することなどがあげられるのではないか、と思われます。

 

 「仏教的な「解脱」の悟りについて」に続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年4月22日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ

人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 17

 二つめは、これは闇の勢力の陰謀の結果であったとしか全く言いようがないのですが、実は、この世界には、生まれつき、その人自身の霊体やチャクラのコンディションの問題で、どんなに努力しても、一定以上の霊的な悟りを得ることが、ほぼ不可能になってしまっているような人々が、非常にたくさんいたようなのです。

 それが、これまでの時代の地球の宗教によくありがちな風景、つまり、一握りの霊的に非常に優れた人々と、それから、そうした人々の守護や指導を受けながら、宗教的な信仰をきっちり守ってゆこうとするような人々の二種類の人々に大きく分かれてゆきがちだった大きな理由になっていたのではないか、というように思われます。

 ただし現在、アセンションの時代を迎えて、長期的には、こうした人々も、だんだん霊的に澄んだ、より良い霊的なコンディションに変化してゆきつつあるようなので、おそらく現代の辺りの時代を大きな境にして、こうした霊的な状況は、かなり大きく改善されてゆくのではないか、というように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年4月17日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 健康、医療 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ