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宇宙の原初の段階における創造の経緯③―この宇宙を二分するような二大勢力の対決と、その結果としての宇宙の度重なる崩壊と消滅 Part 1

 今回も、前回に引き続き、前に書いた文章からの抜粋になります(途中からで、分かりづらい方は、もう少し前の所から、お読みになることを勧めます)。

 

宇宙の原初の段階における創造の経緯③―この宇宙を二分するような二大勢力の対決と、その結果としての宇宙の度重なる崩壊と消滅 Part 1

 第三には、これは、非常に危険な要素が含まれているのですが、こうした多様な変化や分化の行き着く先には、絶対に、必ず、魔境、もしくは、限界領域があったはずなのですが、それは、一体、何であったのかというと、先ほど述べたような、この宇宙の二大幸福原理から考えてみる限り、そうした無数の生命達が、さまざまな試行錯誤や自由の実験をしてゆく暁には、そのうち、「自分は、今の幸福で、十分、満足だ」、というような現状肯定派、というか、調和主義者のような一派と、「いや、現在の幸福の先には、もっと凄い何かがあるはずだ」、というような現状否定派、というか、徹底的な進歩主義者の一派に、ほぼ確実に分かれてゆくはずなのです。

 つまり、この宇宙の歴史の過程においては、「自分の幸福と同等、あるいは、それ以上に、他の生命の幸福に対して、気を使うべきだ」、というような他の生命の幸福の方を尊重しようとするような一派と、そうではなく、「自分の幸福の実現のためなら、他の生命には、少しぐらい、我慢してもらっても構わないだろう」、というような、わりと自分の幸福を中心に考えがちな一派に、必ず、分かれるようになってゆくはずなのです。

 ところが、その行き先が怖くて、そうした生命の試行錯誤や自由の実験というのは、結局、そのどちらの一派も、心から満足するまで、どこまでもどこまでも続いてゆくことになるはずなので、前者のように、「自分の幸福以上に、他の生命の幸福を、なるべく尊重してあげよう」、というような生命達の一派というのは、それなりに、どこかで、「これが、自分達にとって、最高の幸福である」、というような最高の幸福の到達点(いわゆる、天国のような世界)を見つけることができるのですが、そうではなく、後者のように、わりと自分の幸福を中心に考えがちな生命達の一派というのは、だんだん、そうした自由が行き過ぎるようになってゆき、「自分の幸福のためなら、自分以外の生命を、ある程度、傷つけても構わないし、そうしてお互いに傷つけ合ったり、あるいは、それに怒って、やり返したり、やり返されたりするのも、やってみると、意外と楽しいではないか」、というような、言ってみれば、戦いや奪い合いの中に、自分達の刺激や興奮を見い出すようになってゆき、やがて、後者のような愛や調和に満ちた至福の世界とは、全く対極の、戦いや奪い合いの中に、自分達の最高の快感や満足感を見い出すような価値観の中に埋没するようになっていってしまう、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年6月16日 9:03 PM, アセンション・シリーズ 4



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