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宗教も国家も社会も会社も団体も、はたまた身近な家族や友人関係も、結局、単なる人間集団に過ぎない Part 3

5、多くの人々が心から理解し、共感し助け合えるような社会ではなく、あまりにもそれぞれの人が、自分独自の趣味や興味の世界に没頭し、自分の気の合う好きな人とだけ付き合うような社会になってゆくと、結果としては、その社会は大きく崩壊してゆくことになる

 第五には、これも非常に問題が多い内容になるのですが、その社会において、あまりに小さな人間集団が独立して、それぞれバラバラに活動するような状況になっていると、これは現代の社会学者のような人達でも、まだあまり指摘していないような内容になるのですが、やがて、その社会というのは、次のような二つの問題に直面するようになってゆくことが多いということです。

 まず第一には、これは現代の都市生活がほとんど、もうその状態になっているということなのですが、「隣近所の人が、いったいどんな人であるかなんて全く知らない」とか、「自分の住んでいる街の人達が、いったい何に興味があり、何をしたいと思っているかなんて全然わからない」というような状況になっていると、その街に住んでいる人々の連帯感というよりも、幸福感自体がかなり低くなってゆき、非常に冷たい、すれた感じの「もう自分なんて、どうなったっていいだろう」みたいな感じの結構、不幸な人間だらけの社会になってゆきやすいということです。

 第二には、これは少し変わった話なのですが、現代のように特に携帯電話やインターネットなどが普及して、それぞれの人が、それぞれの人なりの独自の趣味や価値観の中に深く没頭できるような社会の仕組みが出来上がっているような状況においては、そのような形で、いろいろな人達が、自分の好き勝手に、自分の好きな人間とだけ付き合うような形で人間集団が形成されてゆくと、これは、まだ現在の人類は経験していない、少し先の未来の話になるのですが、そのような人間集団の中から異常に偏向した人間観を持っているにも関わらず、まるでマンガやアニメの中の一部のキャラのような強烈な独裁志向というか、世界支配願望を持ち、その上、近未来のかなり特殊な高度な科学技術を使いこなすような、現代の時代には、とてもではないが全く理解も想像もできないような、とんでもないテロリストのような人間集団が出来上がってくる可能性があるということなのです。

 こうした話というのは、 昨今の「二十世紀少年」を初めとするような日本のアニメやマンガ(映画もですね)などにおいては、もうすでに結構、頻繁にテーマにされるような内容であるということなのですが、現在の延長線上の人類の未来の歴史では、もうすでにこうした未来の非常事態というのは起きていて、それが前に述べたような一群のタイムテロリストのような連中の活動の、そのそもそもの発端になっていたということなのです。

 このように特に携帯電話やインターネットの発達した現代のような時代においては、その社会の中で、あまりにも小さな人間集団が独立して、それぞれバラバラに活動しすぎるような状況というのは、結構危険な要素を持っているということは、ある程度客観的に理解しておく必要があるのではないか、というように私は率直に考えております。

 

多くの人々が、心からお互いに理解し合い、愛し合い、協力し合い、そして建前だけの形式主義を排して、多くの人々の本音の欲求に基づいた理想社会の実現が、現在、急務になってきている

 それをあらかじめ防ぐためには、特に学校教育の場において、多くの人々がお互いをライバル視して、あまり敵視し合うような教育環境というのは、できるだけ避けるようにしなくてはならないということと、それと、あまりにも人間の内面というか、本音の部分を軽視した形式ばかりの教育を改め、できるだけ多くの人々が心からお互いに理解し合い、愛し合えるような教育に切り替えてゆく必要があるということなのですが、残念ながら、ここ数十年の日本の教育改革の趨勢を見る限り、現代の日本には、そうした多くの人々の本当の幸福の実現のための真の教育改革を行うような力は、現時点では、ほとんど持っていない、というような非常に厳しい状況になっているということが言えるでしょう。

 

Cecye(セスィエ)

2011年4月4日 9:26 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 教育 / 社会、文化



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