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戦前戦中の「大日本帝国」と戦後の「日本国」の違いについて Part 8

 第五には、戦前の日本は、海外に広大な植民地を持っていて、それから輸出向けの生糸に関わるような軽工業や、軍事や土木建設に関わるような重工業などの産業も一応はあったのですが、どちらかというと主な産業は、農業を中心に大人口増政策を行う大農業国のようなところがありました(それが海外に侵略、つまり土地や資源の獲得を目指した原因の一つになっています)。

 ところが戦後の日本は、海外の植民地をすべて失い、国内に大勢の人々が出戻るような事態になってしまったために、否応なしに海外から原料を仕入れて国内で様々な製品を作っては、海外にたくさん売る高度工業国家のような国のあり方に大変更してしまっているので、そもそも戦前戦中の日本と戦後の日本では、国家存続のあり方自体が全く違うものになっているということです。

※戦後の日本の農業のイメージと違って、戦前戦中までの日本の農業は、ほとんど機械化されていなかったので、それ以前の時代とほとんど同じように大勢の人々が力を合わせて、一緒に働くような非常に労働集約型の産業でした。あと、現在の日本のように重工業が大きく発達したのは、主として戦後のことです。

※戦前の日本では、出産や堕胎に関して非常に厳しい取り締まりを行って、かなり強引な大人口増政策を行っていました(戦前戦中の世代ぐらいまでは、ものすごく兄弟姉妹が多いですよね)。おそらく明治時代以降の日本の国策としては、当時の日本の情勢が富国強兵政策で、たくさんの兵隊や生産人口を増やしたかったことと、そうした状況で義務教育を行えば、わりと短期間のうちに、それ以前の江戸時代的な価値観ではなく、新しい明治時代的な価値観を身につけた人々を多数派にできるのではないか、というような隠れた国策があったように思われます(参考)。

※あと時々、戦前の日本の写真を見ることがあるのですが、現在の日本と比べると戦前戦中の日本の都市は、せいぜい数十分の一程度の広さや人口しかなく、基本的に農業中心の国だったことがわかります。それが近隣諸国に次々と植民地を広げたり、海外に積極的に移民を送り続けた理由だと思われます。

※もし戦前の体制のままの大日本帝国がそのまま続いていた場合には、戦闘機や軍艦といった兵器に関わる産業はとても盛んになったかもしれないのですが、その場合、やはりどこかの段階で、当時の日本の制度的な問題や、欧米から技術導入や資源の輸入や製品の輸出などの問題で支障をきたして、戦後の日本の主な産業の一つである民間主導の家電や自動車に関わるような産業は、ほとんど発達しなかった可能性がとても高いです。ですから、戦前の大日本帝国がそのままの形でずっと続いていた場合には、おそらく少し前のソ連のような形で非常に強大な軍事大国にはなっても、家電や自動車のような民間主導の産業をうまく発達させられずに、どこかの段階で経済的に行き詰まってしまった可能性がとても高かったように思われます(実際、終戦前後の段階で、当時の大日本帝国はハイパーインフレに陥って、経済的に破綻してしまっています)。

※私も子供の頃、「昔は、一円札というのがあった」と聞いて、とても驚いた記憶があります(笑)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年6月29日 9:03 PM, 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 経済



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