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光について Part 22

⑤世の中には、完全にがっちりと定まった善悪というものはなく、たとえ、どんな宗教や国家の善悪であっても、せいぜい、それぞれの時代や地域の様々な事情に基づいた一時的な決め事程度のものに過ぎないようなところもある

 それから五つめは、たいてい、これまでの時代の宗教であると、特に「神仏が定めた」とか、「これが神仏の法や掟である」というような神仏に関係する善悪というのは、まるで絶対に変えられない宇宙の絶対の法であるかのような捉え方をされていた時代が長かったのですが、ところが、これまで何度も述べてきているように、たとえ、どのような絶対的な神仏に関係する善悪であったとしても、よくよくそのルーツをたどってみると、「この地方では、こういう事情で、とても大変な事件が起きたので、こういう決まりだけはしっかり守るようにした方がいい」とか、「もともと、そんな厳しい決まりは必要なかったのだが、この時代のこの地域では、光と闇の戦いが特に厳しかったので、どうしても、ある一定期間の間だけは、こういう厳しい決まりをしっかり守るようにしてもらわないといけなくなった」とか、「これは元々は、一部の特に厳しい霊的修行を志しているような人々のために設けた決まりだったのに、いつの間にか、少し意地悪な為政者の時代に多くの人々を厳しく取り締まるために、あたかも神仏の意思であるかのようにでっちあげられてしまったようだ」とか、「これは元々、その宗教の発祥した地域の生活習慣に根ざした少し変わった風習にすぎなかったのだが、時代が下るにつれて、まるでその宗教の修行そのもののように、すっかり言われるようになってしまったようだ」などというように、たいていの決まり事というのは、その正確なルーツをたどってみると、意外とその時々の至極単純な事情で設けたものであったとか、ある時代のある地域の人々のために特別に設けられたものであったというようなものが、結構多いものなのです。

 ですから、こうした観点に立つと、これは多くの人々にとっては、かなり意外な話になるかもしれないのですが、実は現在、多くの宗教や宗派で、かなり特色のある違った内容になっている決まり事のようなものがあったとしても、よくよくそのルーツまでさかのぼり、本来の目的を正しく理解し直そうとした場合には、例えば、現在のような時代であると、「要は一定時間、ちゃんとした深い祈りや瞑想ができるようになる必要があるのか」とか、「少しぐらい我慢できるぐらいの強い精神力が身に付けばいいわけだ」とか、「この教えの意味がしっかり理解できて、他の人にわかりやすく説明できればいいのか」などというように、昔のように頑(かたく)なに、「これは絶対の善だが、これは絶対の悪なのだ」とか、「単に我慢して頑張ればいいのだ」とか、「とにかく昔のやり方の通り、同じようにできないといけない」などと考えずに、もっと合理的に、よりその本来の目的がきっちり達成できるような形で、より柔軟に昔の善悪というものをしっかり考え直してみる必要があるのではないか、ということです(参考)。

 

 続く・・・

 

 追伸

 今日は、歴史的には、第二次世界大戦に関係する重要な日に当たっているのですが、少し前に書いた「太平洋戦争について」の文章に、後から、かなりたくさん文章を追加しているので、興味のある方はお読みください(多分、日本の近代史についての変な感覚が、かなり抜けると思われます)。

 

Cecye(セスィエ)

2014年12月8日 9:07 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ



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