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多くの人々は、言語力の差によって、全く気付かないうちに社会的地位や経済力の格差を受け入れざるを得ないようなところがあった Part 1

現代のような平等社会でも、多くの人々は、ほとんど何も気がつかないうちに言語力の差によって、社会的地位や経済力の格差を否応なく受け入れなくてはならなくなるようなことがあるので、注意が必要である

 これは現代人は、まだ、あまり意識していないような話になってくると思われるのですが、前回も少し述べたように現実の多くの人々の言語的な能力には、人によって、かなり大きな違いが見られるようなところがあるのですが、ところが多くの人々は、そうしたことにあまり気付いていないばかりに、知性的にかなり問題が発生している、というか、そうした言語力の差によって、多くの人々の社会的地位や経済力の面などにおいて、かなり大きな差が生じてしまうようなところがあったようなのです。

 要するに、たいていの人は、誰でも簡単に理解できるような社会的地位や経済力の差というのは、わりとすぐに理解できるのですが、ところが、そもそも一人一人の人間に、そうした社会的地位や経済力の差を作った言語力の差というものについては、あまり深く理解していないようなのです。

 

1、その人の学歴や職業や教養によって、一人一人の言語力には、かなり大きな差が見られる

 それでは、言語力の差とは、いったい何なのかというと、大まかに違いを述べると、次のようになります。

 まず第一には、日本のように、ほんの一昔前まで大多数の人々が、農業や漁業労働者(外国だと牧畜も多かったと思われますが)だった国では、言葉と言えば、その村や町の中で話されるような、せいぜい数百語ぐらいの単語による単純な日常会話がメインであったと思われます。

 第二には、もう少し世の中の広い知識や技術や教養のようなものが必要とされるような、いわゆる商工業に従事する人々の言葉の世界があります。

 それから第三には、詩や小説のような、いわゆる文学や芸術の世界や、それから商業的なキャッチ・コピーやコマーシャルなどで使われるような、どちらかと言うと、言葉の正確性よりも、伝えるメッセージの分かりやすさや、インパクトの強さや、言葉の面白さのようなものが重視されるような言葉の世界があります。

 第四には、今度は少し違って、学問や科学技術などの、かなり専門的な職業や研究に関係するような数多くの専門用語が、日常的に使われるような言葉の世界があります。

 第五には、これも、いわゆる言葉のプロフェッショナルの世界になってくるのですが、外国語の翻訳や(単純な日常会話ではなくて)、政治や外交や法律に関係するような言葉の意味やニュアンスに関して、かなり正確な理解と使用が求められるような人々の言葉の世界があります。

 このように単純に「人間社会で言葉が使われている」と言っても、その人の学歴や職業により、また生まれた生い立ちによって、そうした言語的な能力に関しては、人によって、かなり大きな差が見られるようなところがあるのですが、実は、そうした人々の営む一つ一つの家庭の言語力の差によって(つまり、親や家庭の状況による後天的な影響がかなり大きい)、多くの人々は、もう生まれた時から、ある程度、その後の人生の行く末が決まってしまうようなところがあったということなのです。

 ところが現代人には、こうした言語力についての理解が、まだ、あまり深く分かっていないようなところがあったので、それが原因で社会のあちこちで、いろいろなトラブルや困難を生み出しているようなところがあったようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年10月11日 9:11 PM, おすすめ記事 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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