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イエスについて Part 1

 明日は、クリスマスなので、少し「イエス・キリスト」についての話をしてみたいと思います。

※ここでの「イエス・キリスト」についての話は、この時代から見ると、もはや分からなくなってしまった、いにしえの時代のイエスに代表される、さまざまな聖者の話ではなく、前に述べたような経緯で、キリスト教の成立以降、現代人から見ると、あたかも本当に実在しているかのように見える、イエス・キリストの話、つまり、現在の聖書で述べられているような「イエス・キリスト」についての話になります(相変わらず、巷のメリー・クリスマス調ではなくて、ちょっと、風変わりな話になりますが・・・)。

 

1、今日の世界の宗教的な現実から見る限り、確かに、キリスト教信仰によって、非常に多くの人々が、心の安らぎや悦びを見いだしているのは事実だと言えるが、約2000年前の「イエス」と呼ばれた人物が、「神の一人子だった」、とか、「神に選ばれしメシア(救世主)だった」とは、とてもではないが、言えないような厳しい現実がある

 まず最初に、今から約2000年前の中東で活躍した「イエス」(当時のアラム語では、「イエシュア(Yeshua)」と呼ばれていたようなのですが、日本語で、「イエス」と呼ぶと、全く別の意味なのに、英語の「イエス」と、とても混乱しやすいですね)と呼ばれた人物が、全世界を救うメシア(救世主)であったのか否(いな)か、ということなのですが、これは、現代の人々にとっては、一目瞭然なのではないか、と私は思うのですが、当時のイエスと呼ばれた人物が、確かに傑出した霊的な覚者のような存在であったことまでは、ほぼ誰もが認めるのではないか、と思うのですが、ただ彼が、全世界を救うキリストのような存在だったのか、と言われると、残念ながら、そこまで偉大な覚者とは言えなかったのではないか、というのが、多くの人々の正直な実感なのではないか、ということです。

 つまり、いくら当時のイエスという人物が、霊的に、かなり傑出した人物であったとしても、今日のキリスト教の広がりを見てみれば、よく分かるように、アメリカやヨーロッパやオーストラリアやアジアの一部は、ともかくとして、それ以外の東洋では、仏教や儒教、インドでは、ヒンドゥー教、中東や東南アジアでは、イスラム教・・・、という具合に、どう考えてみても、今日のキリスト教の実情を見てみる限り、キリスト教によって、非常に多くの人々が、心の平安や悦びを見いだしていることは、確かに事実であるとしても、ただ現実には、「彼だけが、神の一人子であった」、とか、また、「全世界の人々を救う、偉大なメシア(キリスト)であった」とは、なかなか、言いきれないような厳しい現実があるし、また、キリスト教自体に関しても、今日のキリスト教が、世界中の20億人以上の人々に信じられている、世界的な大宗教であることまでは認めるけれども、全世界、70億人の人々全員に信じられているわけではないので、現実の実態としては、当時のイエスと呼ばれた人物が、全世界すべての人々を救うメシアであったとは、とてもではないが、言えないのではないか、というように、私は、率直に考えております。

 

 続く・・・

 

 

 追伸

 先日の話で、また怖い未来の話で、少し怖かった、という意見を頂いたのですが、これは、霊的に敏感な方なら、かなりはっきり分かるのではないか、と思うのですが、現在の霊的な状況は、わりと波動的に軽くなって、調和したライト・サイドの領域と、その反対に、かなり波動的に暗くて、恐ろしい感じのダーク・サイドが、かなりはっきり分かれてきている状況なので、現実には、時により、場所により、人により、また、霊的な条件により、良くなったり、悪くなったりで、結構、厳しいところがあります。

 霊的に敏感な方だと、多分、時間的に、波動の上り下がりがあるのと、それから、空間的に、場所ごととか、霊的に見て、わりと上の方と下の方が、かなり波動的に違うのが、観測されると思われるので、それについての正直な見解である、ということです。

 ただ、これは、前にも述べましたが、こうした霊的な予言に関しては、基本的に絶対的な決定事項というのは、ほとんど、なくて、「現在の状況から見ると、そのように未来の状況がなっている」、ということに過ぎないので、こうしたブログからの発表も含めて、「その後、いろいろな人々が、いろいろなことをした結果、そうした未来が回避される、というのは、よくあることである」、というように、わりと冷静に見ていただくと、とても幸いです。

 ちなみに、部分的には、いろいろ問題があるのですが、全体的に見ると、未来からの機械文明からの介入というのは、だんだん、回避されつつあるのですが、「じゃあ、そのまま、今のままで、どんどん行こう!」、などと言っていると、この前、述べたような方向の未来に、逆に確定してゆくような方向性になってしまう、というような、非常に困った問題が、現在の地球の時空間では、発生している、ということです。

 ですから、霊的な予言のようなものに関しては、あくまで、「そのような見方もある」、という程度に、あまり深く確定的な見方をするようなことは避けると共に、「それなら、こうすれば、未来は、良い方に変わるのかな」、という具合に、もう少し流動的で、変更可能な未来の見方を持っていた方が、私は、わりとハッピーな生き方ができるのではないか、というように、率直に考えております。

 

Cecye(セスィエ)

2011年12月24日 9:02 PM, おすすめ記事 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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