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現代の歴史からは、完全に抹殺され、封印されてしまった古代の理想郷の生活について

 今回から再び、少し前に書いた文章からの抜粋を載せてゆきます。

 

現代の歴史からは、完全に抹殺され、封印されてしまった古代の理想郷の生活について

 要は、現在、私達地球人が認識しているような歴史の裏側に、宇宙的な闇の勢力によるかなり悪質な陰謀によって完全に消滅してしまった、もう一つの別の地球の歴史が存在していた、ということであるのです。

 

霊的宇宙的に見ると、現在、地球にはびこっている人間中心の価値観や世界観は全く間違っている

 それでは、そうしたもう一つ別の地球の歴史について、お話する前に、ここで一つだけ確認しておきたいことがあるのですが、それは現在、地球上の人類の社会においては、完全に主要な価値観や世界観となっているような考え方、つまり、地球上の生物の中で人間だけが最も進化した生物種なのであり、それゆえ、そのように地球上で最も進化した生物種である人間は、人間以外のすべての生物を好きなように管理してもよいし、また殺して食べてもよいし、それから、そうした生物以外にも、すべての自然環境に対しても好きなように管理してよいし、また自由にその姿形を変えたり、資源として使ってもよい、というような考え方というのは、宇宙的に見ると地球人が考えるような、いわゆる、自分勝手で横暴な暴君や、あるいは、無慈悲で残酷至極な破壊者や侵略者のような存在としてしか全く認識されていない、ということなのです。

 このようなことを言うと地球人的な発想としては、ほぼ反射的に、「いや人間は、長い間、自然に翻弄されながら弱者としてしか生きてこれなかったのが、やっと近年の科学技術の発達によって、自然すら自由に操れるような地球の強者になれたのだ」、とか、「人間以外の動物や植物に魂など宿っているはずがないから、人間は、それらを自由に使っても殺しても全く自由なのだ」、というような考え方をするのではないか、と私は思うのですが、ところが、現在の地球の歴史では、すでに完全に消えてしまった超古代や古代の地球の歴史においては、こうした人間中心、あるいは、人間のみ偉し高しとするような考え方というのは、ほとんど完全に皆無であった、ということなのです。

 

完全に消えてしまった、もう一つの地球の秘史ー古代の理想郷の生活について

 ここでは、話の都合上、こうした現在の地球の歴史においては、すでに完全に消えてしまった超古代や古代の地球の歴史の世界を「古代の理想郷」というような名前で呼ぶことにしたいのですが(現在の地球人の視点から見ると現在の地球のタイムラインと重なっている部分と全く重なっていない部分があるので、歴史学や考古学による立証は、なかなか難しい面がありますが)、こうした古代の理想郷の時代においては、どこの国のどこの時代の人々であっても、万国共通の感覚として、人間が、よく「天国の情景」として、心に思い描くような楽園の生活というものが、この地球上のほとんどすべての地域で行われておりました。

 こうした古代の理想郷の詳細に関しては、また別の機会に説明したいと思うのですが、ここでその大体の様子について述べると、現在の感覚で言うと、まるで神や女神に当たるような「宇宙の天子」のような光の存在を中心に、少しずつ違った、いろいろな皮膚の色や姿形の人々が大勢、完全な至福と平和のうちに暮らしていて、そして、そうした人々とほとんど全く平等な存在として、他の自然界の中の動物や植物、それから、昆虫や魚などが暮らしておりました。

 そうした自然界の生き物達は、人間とほとんど平等な存在として考えられていたので、当然、人間が他の動物を殺して、食べたり、あるいは、他の動物同士がお互いに殺して、食べ合うようなことは、基本的に一切ないような、すべての生き物同士が、お互いに本当に心の底から愛し合い、仲良く睦み合うような、まさに地上の楽園のような所でした。

 それと、これは現在の人間とは全く異なるのですが、基本的にその時代の人々は、ものすごく長寿で、現在の地球人の感覚で言うと、たいていの人は、大体、千歳から二千歳ぐらいの年齢まで、ほとんど歳をとることなく、若々しい姿で生活しており、また、これは現在であるとテレパシーやサイコキネシスに当たるような能力になるのでしょうが、他の人々や他の生き物達と言葉を介さずに直接思念の状態で会話できたり、あるいは、一種の超能力によって、遠い所へ一瞬で移動することができたり、さらには、自分の思念した物を自由に物質化して創造できるような能力さえ持っていました。

 それゆえ、こうした生活をしていると、基本的には、何もしなくても、それ自体で本当に至福な状態が、ずっとずっと続いてゆくので、それゆえ、現代人のような「生活のための労働」といった考え方は全くなく、そうではなく自分の自由な悦びの表現として、何らかの創造活動を行う、とか、あるいは、他の人々や自然界の他の生き物達のために、何らかの奉仕のような活動を行うというような、現代で言うと、まるで天界にいる天使のような生活をしていた、ということなのです。

 これ以外にも、こうした古代の理想郷に関する説明はしようと思えば、いくらでもできるのですが、要するにこうした古代の理想郷においては、現代人が考えるような「天国の生活」とほとんど同じような至福と平和の生活を、この地球上のほとんどすべての地域において行っていた、ということであったのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年3月22日 9:06 PM, アセンション・シリーズ 2



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