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人間の知的な成長のプロセスと、より良いコミュニケーションのあり方について Part 14

⑨国や民族や地域の差によって、それぞれの言葉の発音や文字の形や、単語や話し方のイメージやニュアンスには、かなり大きな違いが生じることがある

 九つめは、今度は、国や民族や地域の違いによる、それぞれの言葉の発音や文字の形に関するイメージやニュアンスの違いになるのですが、大まかに言うと、次のようなことが言えます。

 これも幾つか例をあげて説明してみたいと思うのですが、例えば、日本語で「あい」というと、「ああ、誰かのことが大好きってことかな?」とか、「ああ、人と会ったり、助け合うみたいなことかな?」などと、ほぼ反射的に考えてしまうことが多いのに対して、英語で「i」と言うと、「ああ、I(私)の意味かな?」などと、ほぼ反射的に考えてしまうなどというように、要するにそれぞれの国や民族や地域によって、ほぼ反射的にパッとイメージされる、それぞれの言葉の発音に関するイメージやニュアンスというのが、それこそ「あ、い、う」というような一つ一つの言葉の発音から始まって、「愛してます」とか、「アイスクリーム」などというような、そうした一つ一つの発音が、ある程度まとまった長い言葉に至るまで、結構大きな違いがあったりするものなのです。

 これとほぼ同じようなことが、一つ一つの文字や記号にもあるのですが、例えば、ある国では、とても親しみのある優しいイメージのものが、別のある国では、とても奇怪な難しいものように感じられることもあるなどというように、結構、一つ一つの文字や記号によるイメージやニュアンスの違いというのも、かなり大きいところがあるようです。

 例えば、中国語や日本語では、漢字を使っているのですが、こうした漢字は、元々、古代の象形文字から発達した文字であるために、一つ一つの漢字が、「火」や「風」や「土」などというように、漢字によっては、その文字の形だけで(そのイメージが正しいかどうかはともかくとして)、かなり明確にイメージがわかるようなところがあるのですが、ところが、アルファベットを使う英語やイタリア語(元ラテン語)などの欧米圏の文字では、そもそも「Alph」とか、「Alphabet」などというように、そうした文字だけでは、ほとんど何のイメージもわからないようなところがあるわけです。

 その結果、欧米圏では、それぞれの人が、自分が考えている言葉や文字のイメージやニュアンスを少しでも正確に相手に伝えるために、できるだけ大げさなゼスチャーを使って、しゃべるようになったり、あるいは、少しでもリアルな絵や音や匂いや味などで、相手に正しく物事を伝えようとするような文化になっていったところがあるようです。

 ただ漢字の場合、現代人から見ると、元々の象形文字のイメージにかなり問題があるものが含まれていたり、現在も刻々と発達し続けている現代文明の物事をすべて完全に表現できるような漢字なんて、そもそもあるわけないので、そうした点では、現在も、より簡単な字体に変えたり、いろいろなシンボルを交えたりして、いろいろと工夫しながら使われているようなところがあるようです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年7月19日 9:03 PM, 知恵、正しさ / 社会、文化



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