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昔の大日本帝国憲法の問題点について Part 21

 四つめは、これはさらに難しい概念になるのですが、実は、この主権という概念には、元々かなり責任が曖昧なところがあって、これは昔の時代劇などを観るとわかると思うのですが、よく昔の時代の国の統治では、統治者のミスで失敗したことを何とかごまかすために、より身分が下の人間に責任を押し付けて、現代人から見ると、かなりむごい刑罰を加えるようなことが時折あったようです。

 ところが、みなさんもよくご存知のように近現代に入ると個人の自由や責任の概念がかなり明確になってきたので、誰かが何かをした結果、成功した場合には、それにふさわしい手柄や報酬を受け取れるが、逆に罪を犯したり、失敗した場合には、それにふさわしい罰を受けたり、負債を被るというような自由主義的な概念が発達してきました。

 それと人道主義的な概念が発達して、昔の時代であれば、例えば、何らかの失敗や間違いをすると、どこの誰が定めたかもよくわからないような非常に厳しい法律や命令によって、かなりむごい非人道的な刑罰を課されることが多かったようなのですが、それが大きく変わって、それほど大変な刑罰は課されずに、例えば、国の法律に基づく裁判による刑罰以外には、せいぜいそれまでの高い身分や役職を解かれるとか、一定の財産を失う程度のペナルティーで済むようになったので、結果として、一人一人の行為の責任が、わりと簡単に明確にできるような時代に変わってきたということです。

 つまり昔の時代であれば、その国の最高権力者の所にあまりにも大きな統治権が集まりすぎて、他の多くの人々の自由や権利が様々な形で侵害されていたようなところがあったのですが、それが時代の推移と共にかなり変わり、そうした国の最高権力者の権力は様々な形で徐々に制限されるようになると共に、一人一人の国民の側に様々な形で実質的な統治権(主権)が分けられるようになっていったのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年10月5日 9:03 PM, 政治 / 歴史 / 社会、文化



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