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昔の大日本帝国憲法の問題点について Part 5

3、そもそも最初の時点から昔の大日本帝国憲法では、憲法の発布の方法や天皇と実務担当者の曖昧さの点で、かなり大きな欠陥があった

 第三には、これはかなり変わった指摘になると思われるのですが、実は、大日本帝国憲法には、こうした問題がある場合には、そもそも憲法であるとは全く言えないのではないかというような、かなり致命的な欠陥があるのですが、それは、大まかに言うと、次のような二つの内容になります。

 一つめは、これはよく考えてみれば、誰でもわかるのではないかと思われるような話になるのですが、最初にも述べたように、そもそも大日本帝国憲法の正当性の拠り所は、当時の明治天皇から天皇の第一の家来に当たる当時の黒田清隆首相に対して、大日本帝国憲法を国家統治の根本をなす憲法として与えたところにあるのですが、ところが、これは形式的なものに過ぎなくて、実際には、当時、初代首相だった伊藤博文を中心に欧米の憲法を参考にして、当時の日本の状況に最も合うような憲法を作った上で、それに政治的、宗教的な権威をもたせるために、わざわざ当時の明治天皇から憲法発布の詔勅(天皇の意思を表す文書)を発して、当時の首相に直接手渡すような形で憲法の発布を行ったわけです。

 つまり、もっと簡単に言うと、当時の政治の実務を担当していた明治時代の指導者達は、彼らが練りに練り、考えに考えて作った憲法を、とにかく少しでも、とてつもなく非常に権威のある存在にするために、わざわざ当時の明治天皇から手渡してもらうという「欽定憲法」(国民の意思ではなく、君主単独の意思によって制定された憲法)の形式にして、当時の大日本帝国憲法の発布を行ったわけなのですが、そうすると政治的には、そもそも最初の時点から大日本帝国憲法の制作責任者及び執行責任者が、いったいどこの誰なのか、かなりあやふやな形になっているにも関わらず、あたかもまるで最高の神からでも授けてもらったかのように政治的、宗教的な権威付けだけはしっかり行おうとした形跡があるということなのです。

※もっと単純に言うと、いくら当時の大日本帝国の首相になっていたとは言え、元下級武士出身の初代首相、伊藤博文監修の憲法とか、黒田清隆首相発布の憲法ということにしておくと(あと、おそらく、本当は、当時の明治天皇自身も元下級武士出身だったと思われますが・・・。参考)、当時の政治体制だとすぐに憲法の権威がなくなって、政府が不安定になりそうだったために、現代風に言うと、当時の天皇をものすごく偉い凄い最高の神のような人ということにしておいて、そこからまるで宗教聖典のような憲法を授かったという話にしておこうというような、言って見れば、一種の政治的なトリックを行ったということです。

※こうした立場から見ると大日本帝国憲法は、日本国民が正式な議論を重ねて定めた国民憲法ではないので、そもそも日本の正式な憲法とは言えなかったのではないか、というような政治的、法律的見解も成り立ちます。

※「大日本帝国憲法」の前文を読むと、まるで当時の明治天皇が神として、当時の日本国民に永久の宗教法典のようなものとして与えたような記述が見られるのですが、今日の日本人の目から見ると、おそらく明治時代の指導者の人々の立場としては、当時の非常に不安定な政治や社会情勢の中で、「とにかく天皇を頂点とする政治体制に逆らうような謀反はしないでほしい」、とか、「欧米のような国づくりには、最低でも数百年はかかるはずだから、その間は永久に近いくらいの感覚で、その時点で定めた憲法や法律にしっかり従って、くれぐれも国内を乱すような行為はやめてほしい」、というような政治目的が非常に強くあったからなのではないかと考えられます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年9月14日 9:03 PM, 政治 / 歴史



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