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霊的に見た日本の神道について Part 11

7、神道では、神話で伝わっている神仏像と、多くの人々が実際に霊的に感じている神仏像があまりに違いすぎるので、もうそろそろ日本人も、もっと霊的な感覚を研ぎ澄まして、本当の神仏を感じ取ってゆくべき時なのかもしれない

 最後に「古事記」や「日本書紀」といった日本の神話との関係から見た神道の問題点について、幾つか考えてみたいと思います(参考)。

 

 まず第一には、これは日本の神話を調べてみると非常によく分かるのですが、実は、神道では、多くの人々が、「普通、神様仏様は、こういう存在なのではないか」、とか、「普通、神様仏様は、こんなことをしてくれるのではないか」、というような内容が、かなり大きくずれているようなところがあります。

 つまり、現在残っている神道の神話では、今日多くの人々が考えているような神仏像、つまり、物質的に姿形こそ見えないものの、霊的には確かに存在していて、多くの人々を悪や災いから遠避け、善なる幸せな方向に見守り、導いてくれている、というような神仏像とは、かなり大きく違った神話になっているのです。

 もっと簡単に言うと、神道の神話では、神々同士がしょっちゅう喧嘩して、訳の分からないもめ事を起こしたり、あるいは、ほぼ訳の分からない状態で、次々と「神」と呼ばれる存在が増えていったり、さらに、ごちゃごちゃと混乱してゆく様子が描かれていることが多いので、はっきり言うと、今日、日本の多くの人々が神社に行って、「神様仏様」と呼んでいる存在と、そうした神話で描かれている神仏の説明には、あまりにも大きな違いがあるのです。

 

 第二には、これはあまり指摘しない人が多いかもしれないのですが、実は、神道には、「黄泉の国」と呼ばれるような死後の世界の描写はあるのですが、それ以外の天国や地獄といった霊界の説明がないために、はっきり言うと、霊的には、高次元宇宙、というか、天界に対して、ほぼ完全に閉じた世界観になってしまっています。

 これは宗教としては、かなり切実な問題になってくるのですが、神道、特に古い時代の神道では、そうした神道を深く信じている人々は、霊的には、地上の世界で亡くなった後、ほとんど間を置かない形で、すぐに地上の世界の、しかも同じような家族や親族の所に生まれ変わってくることが多かったのではないか、と思われるのです。

 つまり、わりと地上の世界が楽しい幸せな世界であるなら、それはたいへん素晴らしいことになるのでしょうが、そうではなく、地上の世界が、結構、荒れて大変な世界になっている場合には、その人自身の意思があまり考慮されることなく、わりと短期間のうちに、何度も何度もたくさんの回数、地上の世界に生まれ変わってこなくてはならないようなところがあったはずなので、霊的には、結構、大変な状況に置かれてしまうことが多かったのではないか、ということです。

※神話上の黄泉の国の話では、死と穢れが同一視されているようなところがあるのですが、霊的には、人間であっても他の生き物であっても、死後、肉体は朽ちることはあっても、死によって、霊自体が穢れることは全くありません。

 

 第三には、これは大変正直な指摘で申し訳ないのですが、今日も多くの人々が精神的な病になったり、精神的に不安定な状態になって、苦しんでいると思われるのですが、実は、もし神道の神話に描かれているような話を、周りの人々を全く気遣うことなく、まるで現実に起きているかのように一生懸命話している人がいたら、これはもう間違いなく、精神的におかしくなった、というように、この世的に判断されるのではないか、ということなのです。

 たいていの人は、神道の神話と言っても、知っているのは代表的な神様の名前と大まかな説明だけなので、実際にはあまり知らない人も多いと思うので、ここでは、ほんの少しだけ例をあげてみたいと思うのですが、例えば、「男女がセックスすると、次から次へと何やら得たいの知れない物が産まれてきた」、とか、「刃物を突き刺すと、体から何か訳の分からない物が次々と現れてきた」、とか、「身の回りの物がすべて生きていて、あちこちから自分に話しかけてくる」、とか、「これをやっても祟り、あれをやっても何か祟りがありそうなので、とても恐い」、とか、「自分が何か話すたびに、それが世界に影響して、何か得たいの知れないものが現れてくる」、などというように、はっきり言うと、これらは、今日、よく精神科に通っている人々が、幻覚や幻聴に苛まれて、精神的に大混乱した際に、よく口々に語るような話そのものなのではないか、ということなのです。

 つまり、今日、多くの日本人が一般に、「神様仏様は、このようなものだ」、というように感じている神仏像と、神道の神話に描かれている神仏像が、現実には、かなり大きく隔たっているのに、多くの人々は、意外とそれを知らないし、また、ほとんど気にもしない、ということが、私には、かなり不思議に感じられるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年10月22日 9:03 PM, 神道



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