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「陰陽説」について Part 5

多くの人々が、単純な「善悪」や「陰陽」や「正誤」といった、二元論的な世界観を受け入れてゆくと、なぜか、その後、多くの人々の霊的な能力の低下や、身分間の格差の増大や、残酷な刑罰の増加、といったマイナスの現象が起きるようになってゆく

 ところが、この後が、さらにおかしくて、なぜか、こうした「善悪」や「陰陽」や「正誤」といった、二元論的な世界観を受け入れた、多くの人々が暮らしている社会では、その後、次のような三つの不思議な出来事が、頻繁に起こるようになるばかりか、さらには、それが、一定期間を過ぎると、なぜか、それは、まるで、何百年も何千年も昔から、ずっと続いていた、その社会の当然の常識ででもあったかのような、非常に不思議な錯覚を、多くの人々が持つようになってゆくようなのです。

 それは、いったい、何なのか、というと、まず第一には、これは、とても不思議なことなのですが、こうした善悪や陰陽や正誤といった、非常に強烈な形の「二元論」のような価値観を強く持った社会では、たとえ、それ以前の社会において、多くの人々が、非常に自然な形で、すでに亡くなった人々や生き物達といった、霊的な存在達とのコンタクトや交流を行っていたとしても、その後、なぜか、多くの人々が、いつの間にか、そうした霊的な能力を失い、すでに亡くなった人々や、あるいは、彼らの守り神のような神霊達が、いったい、何を考え、何を伝えようとしているのか、ということが、だんだん、訳が分からなくなってくるような、不思議な現象が起きるようになる、ということです。

 第二には、これは、あまり考えたことのない話なのではないか、と思うのですが、そうした善悪や陰陽や正誤といった、二元論を信奉する社会では、その後、なぜか、多くの人々が、ほぼ無意識のうちに、「この人は、自分より上で、この人は、自分より下」、などというような、人間と人間の間の上下感(人間と動植物との間も)が、非常に強くなってゆき、結果として、「貴族」と「農民」、とか、「皇帝」と「奴隷」、などというように、非常に大きな格差を伴う、身分社会になってゆくことが、非常に多い、ということです。

 それから、第三には、これも、あまり深く考えたことのない人が多いのではないか、と思われる話になるのですが、そうした二元論的な世界観を信奉するような社会では、ある程度、月日が過ぎるうちに、なぜか、多くの人々が、他人の痛みや苦しみに対して、非常に鈍感になると共に、また、なぜか、無意識のうちに、かなり残酷な、むごいことでも、平気で受け入れるような社会になってゆき、結果として、誰かが、ちょっと、戒律や法律を破るようなことをするだけで、すぐに、かなり残酷な刑罰を執行するようになる、とか、その社会の一部で、かなり不当な劣悪な生活を強いられているような人々がいても、多くの人々が、なぜか、平気で目をつぶって、見て見ぬふりをするような状況になってゆくことが、非常に多いようなのです。

 

霊的に見ると、多くの人々が、あまりにも強く、「善悪」や「陰陽」や「正誤」といった、二元論的な世界観を信奉している場合には、多くの人々の間に、目に見えない、たくさんの切れ目や亀裂が生じるようになり、それが原因となって、多くの人々の肉体や精神の不調や、国内外の紛争や対立を引き起こすこともあるので、注意が必要である

 さて、それでは、いっけん、非常に宗教的で、理性的で、合理的な、こうした、「善か、悪か」、とか、「陰か、陽か」、とか、あるいは、「正しいか、間違っているか」、というような二元論を信奉する社会において、どうして、こうした不思議な出来事が起きるようになるのか、というと、これは、霊的なことが分からないと、なかなか、よく分からないような話になるのですが、実は、人間以外の動植物を含む、さまざまな生命に宿る、「霊」と呼ばれる存在というのは、根本的なところで、こうした、「良い」、「悪い」、とか、「右か」、「左か」、というような、何でも二つに分けてゆくような考え方を嫌うようなところがあるのです。

 その結果、そうした二分法的な価値観を強く持つような社会で暮らしている多くの人々は、ある程度の年月が過ぎるうちに、外見的には、せいぜい、「ちょっと、体や精神が硬くなってきたように感じられる」、とか、「感覚や考え方が、堅苦しくなった」、という程度の変化しか起きないのですが、ところが、霊的(というか、異次元的)に見た場合には、「多くの人々や生き物達の霊体が、あっちもこっちも、いろいろな場所が切れているように見える」、とか、「あっちもこっちも、多くの人々や生物達の間に、目には見えないけれども、かなり硬い、透明な仕切り壁のようなものが見える」、などというように、言ってみれば、霊的には、あっちも、こっちも、ほぼ完全に、お互いに、ちょん切れたような状態になってしまっていることが多い、ということなのです。

 この結果は、極めて、悲惨な結果になるのですが、こうした二元論的な世界観を、多くの人々が受け入れている社会では、なぜか、その後、訳の分からない肉体の痛みで、医者に通う人々が増えたり、あるいは、社会的には、十分、整っているはずなのに、なぜか、精神的な孤独感や不調を訴える人々が増えたり、さらには、なぜか、大した理由もないのに、隣近所の国同士の間で、ひょんなことから、訳の分からない領土問題や民族問題のようなものが持ち上がっては、お互いに、ののしったり、小競り合いするような、非常に緊張感を伴った国際関係になってゆきやすい、などというような、はっきり言うと、いっけん、平和的で、繁栄しているにも関わらず、精神的には、かなり不安定で、不幸、というような、ちょっと、いびつな社会になってゆきやすい、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年5月27日 9:08 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 社会、文化



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