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試験に強い権威をもたせている国は、歴史法則的には、せいぜい百年程度で国家が滅びることになる Part 2

①試験に受かった少人数の役人の人達が、人生経験の豊かな多くの人々を命令一つで簡単に動かすために、だんだん試験自体にものすごい権威付けを行うようになっていった

 まず第一の問題とは、たとえ、いかに難しい試験を通過した人間であったとしても、人間である以上、生存のために必ず何らかの欲があるのは全く当然のことであるのですが、なぜか、こうした難しい試験を実施している国では、その社会における表向きの建前としては、こうした難しい試験を突破した人間は、普通の人達とは全く違った、みんなものすごく立派な人達ばかりなのだ、というような一種の思想統制をしてくることが非常に多かったのです。

 その理由は簡単で、多くの普通の人々というのは、そんな、ちょっとやそっと難しい試験を通ったくらいで、世の中のイロハも全く知らないような若造の言うことなんて、たいてい馬鹿にして全く聞かないようなことが多かったために、それゆえ、そうした試験を経て、新しく役人になったような人達というのは、たいてい自分達の仕事上の必要に迫られて、次のような三つの方法で、こうした状況を何とか、その場しのぎのように次々と乗り切ってゆくしかなかったのです。

 まず第一には、「これは国家の法律で決まったことなので、言うことを聞かない人間には、一人残らず、厳しい厳罰があるぞ」などと、二言目には警察や軍隊のような何らかの強制力を使って、脅すような仕事を行いがちであったということと、第二には、民衆の中のキーになるような人物を見つけては、ちょっとした良い待遇や給与を用意して、裏でこっそりと利益誘導をはかろうとしたということと、それから第三には、長い人生経験を積んだ多くの普通の人々を、あまり人生経験のないような少人数の若い役人の命令だけで簡単に動かすためには、とにかく試験に権威をつけて、そうした試験に合格した人間は、ものすごく偉いのだ、というような試験の権威付けをだんだん、いろいろな理由を付けては盛んに行うようになっていったということです。

 こうして本当は、単にその人の知識や教養や実務能力を問うだけの試験のはずが、そうした役人が中心になって国家運営をしているような国では、どこもかしこも、だんだん、そうした試験というものにものすごく権威を付けてゆくようになり、そして、そうした試験に通った人間は、まるでものすごい人格者で最高のエリートなのだ、というような一種の思想統制のようなことを行ってゆくようになることが非常に多かったのです。

 

②結局、試験制を採用しても、試験に受かったエリートと、そうでない普通の一般大衆というような二つの全く利害の異なる身分社会になってしまいがちであった

 第二には、これはよくよく冷静に考えてみないと、なかなかよく分からないような内容なのですが、実は、こうした試験を合格した人達と、そうした試験に合格していない人達、つまり、そうした試験に落ちたとか、あるいは、そうした試験を受けたこともないような人達との間には、明らかに人間の種類、というか、人間の集団として、本当にまっ二つに分かれるくらい完全に利害が対立するような立場の関係になりがちであったのです。

 これは現代のような民主主義の時代には、ちょっと分かりづらいのですが、要は、そうした役人の人達というのは、一昔前の王制の時代であれば、多くの人々から一方的に税金を徴収して、いろいろな命令を下すような支配階級の人々、つまり、貴族や武士の立場とほとんど変わりないような立場に立っているということなのです。

 それゆえ、こうした多くの普通の人々から一方的に税金を取ったり、命令を下したりするような役人の人達の立場と、その反対に、こうした役人の人達から一方的に税金を取られたり、命令されたりするような多くの一般の人々の立場というのは、一昔前の風景的な描写であると、いわゆる貴族や武士のような支配階級の人々と、商人や技術者や農民や奴隷のような非支配階級の人々というように、実は、ほぼ完全に利害が対立するような立場の関係にあるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年11月29日 9:24 PM, 政治 / 教育 / 歴史



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