現在では、資本主義の国々でも、選挙権の拡大や社会保障の充実や税制の工夫などによって、労働者の権利や政治的な立場は、かなりしっかりと守られるようになってきている
次には、共産主義や社会主義を推す人々が、全面的に否定して、闘争を繰り広げようとしていた、当時、たくさんの資金や株や土地や工場などを所有して経営していた「資本家」、あるいは、経営者などの立場や役割について、考えてみたいと思います。
当時のマルクスが、当時の資本主義が発達途中の社会を調べると、一部の「資本家」と言われる人々が、非常に大勢の労働者をこき使って、工場や農場で労働させて作らせた生産物に、さらにたくさんの儲けをのせて、大量に販売しているように見えていたようです。
しかし、これは経済のことを多少学んだことのある人であれば、現代のような時代であると、誰でもある程度、当たり前のようにわかることであると思うのですが、この世の中にそうした形で「資本家」と完全に言い切れるような人々はほとんどいないし、また、そうした大きな資本を持っている人々であっても、その人自身にしっかりした投資や経営の裁量がない場合には、長い目でみると大きく財産を減らしてしまうこともあるし、さらにはそうした企業どうしのかなり厳しい競争もあれば、以前には全くなかった新しい産業が次々と生まれてくることもあるので、はっきり言って、現代のような時代であっても、また百年以上昔の時代であっても、そう単純に「資本家」と完全に定義できるような人々が、いったいどの程度いたのか、というのは、あまりはっきりとわからないようなところがあったのではないか、と思われます。
※ただし当時の時代には、国王や貴族や大商人のような、かなり長期間に渡って、代々続いている世襲制の非常に少人数の特権階級の人々がいる一方で、人権もあまり尊重されないような、その日暮らしの非常に貧しい人々が大勢いたので、それゆえ、そうした意味では、どちらかと言うとマルクスの言う階級闘争というのは、資本家と労働者の間の闘争というよりも、そうした身分間の格差や差別の問題のように、当時の多くの人々からは感じられていたかもしれないということは言えるようです。
Cecye(セスィエ)
