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知ることと人間の欲求の関係について Part 6

6、人間には、純粋に「何かが知りたい」というような知的欲求だけでなく、本当は「何かが怖い」とか、「何らかの快楽が味わいたい」というような、潜在意識的に少し歪んだ知的欲求もあるようなので、多少注意が必要なところがある

 それから六つめは、これは、あまり考えたことがないかもしれないのですが、人間の欲求の連鎖と、知的活動の関係をこと細かに調べてゆくと、少しおかしな関係があることに気づくのですが、それが、今日も一部の人々が深く陥っている、いわゆる「依存症」的な精神状態というものになります(別に病的なものでなければ、それほど問題ないとも言えるのですが・・・)。

 つまり、人間が「何かを欲しい」と思っている際には、本当に純粋に「何かが欲しい」とか、「何かがやってみたい」と思って、そうした欲求を感じているケースと、そうではなく、よくよくその人の心の奥を調べてみると、本当は、何らかのことを心の奥でとても怖がっていたり、何らかの快楽のようなものを間接的に味わうために「別の何かがしたい」と思っているとか、あるいは、本当は現実には、すでに十分に満たされた状態になっているはずなのに、なぜか潜在意識的に、そうした欲求が十分に満たされていないと深く思い込んでしまっているために、「さらにもっともっと欲しい」と思っているなどというように過剰な欲求を持ち続けているようなケースも、意外と多いようなのです。

 こうした状況から考えてゆくと、人間の心の奥には、はっきり言うと、いつまで経っても、またどのような最高の状況に到達したとしても、どうやっても絶対に満たされることのない、果てしない欲望の世界のようなものがあることに気づくのですが、こうした終わりのない人間の欲求のあり方に対して、古来から宗教的には、様々な人間の欲望の調整の方法が教えられてきたり、さらに近現代に入ると、そうした人間の欲望はある程度そのままよしとした上で、できるだけ多くの人々の欲望を十分満たしてゆけるような社会に変えるために、民主主義や自由主義や社会主義のような政治改革を行ったり、あるいは経済や科学技術の発達を、かなり勢力的に行い続けてきたようなところがあったわけです(参考)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2017年2月2日 9:03 PM, 知恵、正しさ



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