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現代日本の歴史教育は、民主主義国の市民の歴史教育としては、かなり問題があるのではないか Part 1

 この前、少し歴史についてのことを書いたのですが、今回は、もう少し歴史についての見方を書いてみたいと思います。

※いっけん、ちょっと難しく感じる方もいらっしゃるかもしれないのですが,要は、歴史なんて、学校で教えられたみたいに杓子定規に考える必要なんて全くなくて、「今すぐ役に立つ歴史知識を身に付けよう」、とか、「もっと自分の好きなような歴史の見方をしても、全然構わないのではないか」、というような話になります。

 

1、単なる暗記中心の歴史教育を受けても、自分が大人になった段階において、民主主義国の市民としての考え方や行動が全く分からなくなるような歴史教育では、全く意味がないのではないか

 まず第一には、単なる知識として、歴史を学んでいても、現実には、時代劇を見た時に、ある程度、意味が分かることくらいしか全く役に立たないので、もし自分の国や地域の歴史を学ぶのであれば、基本的には、自分が成人して、大人になった段階において、自分の国や地方で、何か問題が起こった時に、民主主義国の市民としては、いったい、どのように考え、どのように行動すればよいのか、ということが、はっきり分かるような民主主義国の市民が知るべき歴史教育でなければ、原則、いくら学んでも全く意味がない、ということになります。

 ですから、単に「745年に、何があった」、とか、「昔の貴族や将軍の名前を覚えましょう」、などと言われて、たくさんの暗記を強要されたところで、そんな歴史教育を受けた人達というのは、単に「歴史嫌い」、「政治嫌い」、「考えること嫌い」の国民になるだけなので、基本的には全く意味がない、ということが言えるでしょう。

 

2、民主主義国の市民の歴史教育としては、単に過去の出来事について、知るだけではなく、現在、及び、未来の市民社会の問題解決に対して、即、役に立ち、また即、何らかの行動指針を見いだせるような歴史教育でなければ、実際問題として、ほとんど何の意味もないのではないか

 第二には、これも問題が多い内容になるのですが、「歴史教育」と称して、いつも、「さあ、誰それが何々しました。しっかり暗記してください」、とか、「あなたは、この重要な年号や単語を覚えていないので、全く、お馬鹿さんですね」、とか、「あなたは、この重要な年号や単語を暗記しているので、本当に頭の良い人です」、などと言われても、はっきり言って、そんなこと一歩社会に出てしまえば、何かの機会にその国の歴史の話が出た時に、ちょっと話題についてゆける、ということぐらいしか全く役に立たないわけです。

 ですから、民主主義国の市民教育としての歴史教育であるならば、「さあ、今の国で昔の時代とよく似た、こんな大変な問題が起きました。さて、あなたなら、今、いったい、どうするのが一番の正解だと思いますか?」、とか、「さて、現在、円高問題や株安問題が噴出して、経済の先行きが、とても心配です。こうした際に近現代の人々は、いったい、どのような解決策を見いだしたでしょうか。それを参考にして、自分として、最も最善と思われる解決策を考え出してください」、とか、「前の戦争では、敵味方共に、ものすごくたくさんの悲惨な犠牲者を出しました。それでは、それを単に悲しんで、終わりのするのではなくて、今後、二度とそうした過ちを繰り返さないようにするためには、あなた自身は、いったい、どのような考え方をして、どのような行動をすることが大切なのでしょうか?」、などというように過去の過ぎ去った問題としてではなく、現代や未来において、一市民として、自分自身が、いったい、どのような考え方をして、いったい、どのような行動をすることが、最も賢明であると言えるのか、というような、生きた歴史教育をすることが、とても大切なのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年8月15日 9:24 PM, おすすめ記事 / コラム / 人生観、世界観 / 政治 / 教育 / 歴史 / 社会、文化



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