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人間の信用や信頼感について Part 2

③人間は、自然環境や、その国や地方のあり方に関しても、ほぼ無意識のうちに、一定の限度や条件付けの範囲内の出来事を想定し続けているようなところがある

 第三には、これは、ちょっと変わった話になるのですが、実は、みなさんが、ほぼ無意識のうちに、かなりの信頼を置いているにも関わらず、よく考えてみると、それなりのリスクをはらんでいるというものが、世の中には、結構、多々あるものなのです。

 それは何なのかというと、例えば、「この国や地方では、毎年、平均的に、この程度の日照時間があって、この程度の雨が降るはずである」とか、「この国では、普通は、この程度の地震や風水害が起きる程度で済むはずである」というような内容になってくるのですが、要するに、その国や地方の人々が、いつの間にか、ほぼ無意識のうちに「これまで、ずっとそうだったので、おそらく、今後もずっとそうだろう」と思い込んでいるような内容であっても、時々、全く思いもしないような時に、とんでもない大地震や大津波に襲われるとか、とんでもない干ばつや風水害に見舞われるようことが起きることがあるのです。

 つまり、人間というのは、自然環境や、その国や地方のあり方に関しても、ほぼ無意識のうちに、何年、何十年、また場合によっては、何百年のこれまでの経験の積み重ねから、「今後もこうなってゆくはずだ」とか、「おそらく、今年も(来月や明後日も)、こうなるのではないか」と予測を立てているようなところがある、つまり、言葉を変えると、未来の状況を信頼しているようなところがあるということなのです。

 

④人間は、自分自身の性格や能力やコンディションに関しても、それまでの経験から、ほぼ無意識のうちに、一定の限度や条件付けの下での信頼感を想定しているものである

 さらに第四には、これは、さらにちょっと変わった話になるのですが、実は、人間というのは、そうした信用や信頼を、他の人や生き物や、機械や物のみならず、自分自身に対しても、ほぼ同じように持っているようなところがあります。

 それは何なのかというと、例えば、「これまでの自分の知識や経験だと、自分は、この程度のむちゃや無理をした場合、この程度、食べたり飲んだり、休んだりすれば、十分、回復するはずだ」とか、「自分は、これくらいの学習能力や仕事能力や身体能力があるはずだ」とか、「自分は、こんな体験をした場合、こんな感じで大喜びしたり、落胆したりするはずだ」というような、言ってみれば、ある種の経験則のようなもので、「自分自身は、このような存在だ」というような感覚を持っているものなのですが、これも言ってみれば、一種の信頼感のようなものであるということが言えます。

 ところが、みなさんもよくご存知のように、こうした自分自身の性格や能力やコンディションに関する感覚というのは、いろいろな手段で伸ばしてゆけば、どんどん伸びてゆくようなところがあると同時に、また逆に、その時々の肉体や精神の状態や年齢の影響などで、突然、ダウンするようなところもあるので、やはり、こうした自分自身の性格や能力やコンディションの状態というのは、その時々の状況によって、多少上がったり、下がったりするようなところがあるものなのです。

 ですから、こうした目で見てみる限り、日頃は、あまり考えていないような自分自身の性格や能力やコンディションなどに関しても、人間というのは、「自分は、この程度までなら大丈夫だが、これ以上はちょっとダメかな」とか、「この内容に関しては、自分は自信があるんだけど、この分野に関しては、他の人に代わってもらった方がいいかな」などというように、自分の性格や能力やコンディションに関して、一定の信頼感、逆に言うと、不安感を持っているようなところがあるということが言えるでしょう。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年12月4日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 知恵、正しさ



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