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敗戦国側の政治家や一般市民の考え方と、戦勝国側の政治家や一般市民の考え方の違いについて Part 2

 それでは、敗戦国側の一般市民の感覚は、どんなものなのかというと、

①昔は、戦争で負けると大変だったらしいが、第二次世界大戦の場合には、連合国側が、わりと親切に国の復興を助けてくれたので、正直言って、とても感謝しているし、またアメリカやヨーロッパの国々のことをたくさん知るにつれて、時間が経てば経つほど、憧れや親しみの感覚は増すけれども、正直言って、なんであんな大戦争をしたのか、よく分からなくなってくる。

②昔の大変な戦争はともかくとして、今はアメリカは、車や電気製品などの大切なお客さんだし、また映画やコンピューター関係などのアメリカの文化や輸入品も、もう完全に仕事や生活の一部になっているので、確かに昔の戦争は大変だったかもしれないが、正直言って、現在は友情や親しみのような感覚しか感じられないし、また中国や韓国にしても、もう身の回りには、それらの国々の文化や品物が溢れ返っているし、中国や韓国と仕事で密接な関係を持っている人々も多いので、政府や一部の人々は、時々問題を荒立てようとするようだけど、それらの国々と深い関係を持っている会社や個人の側としては、正直言って、あまり事を荒立てて、仕事や生活の邪魔をしないでほしい。

③外国で戦争があると、その戦果や政治目的よりも、どちらかと言うと普通の一般市民は、いったいどんな大変な目に遭っているのかということの方ばかりが気になってしまう。

④敗戦後は、とにかく仕事や生活の再建が大変だったし、それから自分も単なる被害者ではなく、加害者の一人として責任の一端を抱えているような感覚もあるので、それにかまけて、「戦争中、上の人が、どんな形で指揮していたか」とか、「どんな軍事上の責任があるか」というような話は、この際、みんな水に流して、何も考えずにそのままにしておきたい。

というようなスタンスになりやすいということです。

 それに対して、戦勝国側の一般市民の感覚としては、

①国家の安全保障上、あるいは、国際的な自分の国の利益の確保のために、軍事力の行使はある程度は必要なのだろうが、ただ、ものすごく長いドロドロの戦争が続いた場合には、被害の拡大や軍事予算の増大などで、やっぱり、どこかの時点で戦争がすっかり嫌になってくる。

②戦時中は兵隊をやっているので、仕事のことはあまり気にならなかったが、戦争が終わると大部分の人は、普通の社会生活に戻るので、軍隊のことは、ものすごく印象深い体験だったけど、それよりかは、毎日の仕事や景気の方が、よほど気になってしまう。

③たとえ昔の交戦国であったとしても、戦後、時間が経って、ビジネスや生活で直接、いろいろな関係ができるようになると、政治上のゴタゴタなんて、もう迷惑以外の何物でもなくて、とにかく相手の国で商売がうまく行くように、あるいは自分の国で相手の国からの輸入品がたくさん売れるように、政府には、あまり昔のことをゴタゴタ荒立てないようにしてほしいし、そんなことよりかは、もっと国際関係を良くしたり、もっと景気が良くなるように、いろいろなことをやってもらった方がよほどいい。

④昔は、ただの兵隊だったから、一々文句なんて言っていられなかったのだが、戦争が終わると上下の関係がなくなるので、当時の自分や友人の大変な体験のことを思うと、その時代の上の人が決めた作戦や命令は、本当に良かったのかどうか、何となく気になってきてしまう。

 などというような感覚を持ってくるようです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年8月25日 9:04 PM, 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 軍事



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