ですので、はっきり言って、まだ資本主義が発達し始めたばかりの19世紀の中頃において、もし理想社会の実現に向けて、もっと確実な国家や社会の進歩を図ろうとした場合には、どちらかというと、当時のマルクス的な闘争ではなく、当時の社会全体の富を増やすために経済活動自体は、さらに活発にさせると共に(やはり公害問題や環境保護への取り組みは大事だったと思いますが・・・)、少しでも確実に労働者の権利をしっかり守ってゆけるような法律や社会制度の充実を図っていった方が、そうした社会の枠組み自体をすべてぶっ壊してしまうよりも、ずっとより良い社会が実現できたようなところがあったのではないか、と思われます(結局、自由主義や資本主義の国々は、そうした政治制度や社会の改善をずっとやり続けていた結果、マルクス主義な社会主義国家よりも、結果としては、社会全体がより豊かになると共に、労働者の権利も、よりしっかりと守られるような社会になってきたのではないでしょうか)。
そうすると共産主義思想自体については、いったいどのようなことが言えるのか、というと、はっきり言って、21世紀初頭の現在までの人類の歴史を見る限り、19世紀の中頃に唱えられたマルクスの経済理論というのは、学問的にも、また政治的、経済的、社会的にも、元々マルクスが唱えたような成果は、ほとんど全くでなかったので、かなり間違ったものだったのではないか、というように歴史的には判断されるのではないか、と思われます。
それで、こうしたマルクスの闘争的な思想の中で最も問題が多いと思われるのは、相手の話もよく聞かずに単純に一方的に決めつけて、不満や怒りをぶつけて、暴力に訴えようとするような態度であったのではないか、と思われます。
当時のマルクスは、単純に「資本家」と一括りにして、まるで人類の敵のように扱おうとしたのですが、私が思うには、当時の時代にも、そうした資本主義の問題をよく認識していて、そうした社会を少しでも良くするために、様々な政治活動や、経済的な慈善事業などをたくさん精力的に行っていた資本家の人々も、たくさんいたようなので、はっきり言って、私はマルクスの言う「資本家はみんな悪い奴らで、労働者から一方的に搾取している」というような主張は、現代と言わず、当時の時代であっても、かなり間違ったものだったのではないか、というように単純に感じております。
※ですので、結局、どこの社会主義国も、マルクスの経済理論を信じて経済運営しても、いつまで経っても、なかなかマルクスの言うような理想社会にはならなかったので、途中で彼らが敵対しているはずの資本主義の国々の経済運営の手法を取り入れるような経済改革をせざるを得なくなっていったようです。
※ただし政治的には、マルクス主義的な革命によって、わりと短期間のうちに、それ以前の王制や皇帝制のような身分社会から、国民が、わりと平等に扱われる共和制に移行できたようなところはあったのですが、しかし残念ながら、そうした国々では、国民の自由や人権は、わりと軽視される傾向があったようです(別の見方をすると、つまり、そうした国々では、国民をさらに豊かに幸福にするための改良点が残っていると考えてもよいのかもしれません)。
Cecye(セスィエ)